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雑談&連絡スレッド

2408無精髭:2008/07/23(水) 22:58:40
勿論、文章を推敲することは大切です。その際にも、文章を短くするのに気を取られて、
書き手自身にとってその文の内容を生んだ思考過程(必然性)まで省いてしまうのは、
その文章の命脈を断つことと同意でしょうから、そんな事はしないよう重々肝に銘ずる
べきです。起承転結がはっきりとしていて、表現に無駄がなく、作文の御手本のような
文章も、同時に非論理的な上、内容が薄っぺらで直感に頼ったようなものであることも
考えられる訳です。こんな事を紫煙狼様に申すのは釈迦に説法なのですが、議論用の文章を
書く場合は、形式を整えたり読み易さを求めたりするよりも、冗長でも良いから生の思考を
写し取ることを優先した方が都合が良いように思われます。「自分は斯く斯くしかじかの
思考過程を踏んで、このような考えを持つに至った」という必然性を示す為には長文の方が、
他者からの批判も期待できる点で、議論向きのように思われるのです。というより、文章を
必然性を意識して長く書く技術(というより努力)は必須でしょう。長文における弊害は
確かにありますが、だからと言って文才を短文を理想とした作文能力と規定してしまいますと、
今度は短文における弊害が見え難くなりはしませんかしら。ややもすれば、論理的な文章
よりも感覚的な文章の方が、人から読み易いとされ、周りに受け入れられもします。実を
申しますと、私もこういった傾向に概ね肯定的ですが、思索とか議論の場合に限っては
ちょっと事情が異なるかも知れません。そこにおいて文章の短いことが読み易い理由と
なっているのなら、読み手が書き手の真意とは無関係に勝手な読みをしているだけで、それは
全然褒められるべきものではありません。読解を行う中で書き手に対して感覚的に同意するの
では、ただ何となく分かっているという理解の上で、書き手の主張に曖昧な根拠しか見出せ
ないでしょう。読み易い文章を書くといった、他者の読解に親切な短文志向型の文才は、
議論や思索では寧ろ説明不足を露呈するだけでしょう。短文でも思考過程を要約することは
可能だと思いますが、これには相当の注意を要しますから、文才に加えて論理的思考力も
必要でしょう。そしてこうなって来ますと、書き手の作文力だけではその思考内容の伝達可能性
は確立されないと思います。議論に参加する皆が皆、その論理的な規則にある程度通じてい
なければならないと思われるからです。・・・まぁこの件に関しては、これ以上深入りするのは
止します。


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