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靖国問題について考える
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>上田さん
>>893-907
>可能性と推測 全部の内容と関わってくると思いますので
「可能性から推測」をすると言われていましたが、「確からしい」を求める
と言われていましたが、それは分かりますが、
私が問題としていたのは、上田さんが
仮定の上の仮定
のようなことをしている点です。なるほど、確かに1/40の確率のものは
数値的に低くても0ではありません。また、1/40×1/40×1/40=1/64000
の確率のもの0ではありません。
確率としては存在するが、それイコール「確からしい論」ではありません。
私が前の方で述べていたのはその点で、
・「藤尾氏(文相)の発言」を無視(最初はただ書いただけ。無視してもいいとの
意見で、途中からは変わったようです)
・文調(「=」を話相手とした場合の敬語の方向も含めて)の違いを考慮外(これは
相変わらずか)
に入れていることに対して、余りにもご都合主義的としているのは
そのためです。
上田さんはそれを無視して、この解釈なら説明がつくと言われていますが、
無視を基本とした解釈では1/40の三乗ではないですが、可能性が低いのではないで
しょうか?
それよりも無理に一連のものとしないで、別繋がりのものではないでしょうか?
と言うのが私の意見です。
また「参拝」、「英霊に対する敬意」についても、
「英霊に対する敬意がある」→「だから敬意を表してプライベートでも謙譲語を使う」
とありました。しかしながら、これも何故に
敬意を表するとプライベートな時でも謙譲語を使う
と言うことの合理的な説明がありません(勿論、説明が全く無いわけでは
ないですが、それについては反論済みです)。そして、それに関連して
「(私たち)は【参拝】と【行く】を同程度で使う」や
「【参拝】を使う可能性を否定し得ない」とありましたが、先ず、
最初の可能性論と絡めて言いますが、
「可能性が無いとは言えない(0とは言えない)のを何故に否定するのか」
とありましたが、これについて二つの点から反論します。
先ず、この上田さんの反論は私に判断を形成する際に「(0%ではない)可能性の存在」
を考慮しなかったと判断を形成する際の手続き上の瑕疵を言われていると
思います。
しかしながら、判断形成の際には可能性が低いと言えること(思われること)
についてはその存在を ≒ 否定しうるもの と取り扱ったとしてもそれは
問題ではありません。それは精度に問題が生じることはあっても、判断
形成の際の手続き上の瑕疵にはなりません。そして、私はその際の根拠を
既述しています。後は、上田さんがその可能性の程度について反論されれば宜しいと思います。
先ず、これが可能性のことに関して一点。
次にそれに対して上田さんが言われたことは
・「参拝は皇太子時代に慣れ親しんだ言葉」だから、
・「敬意を表するから」
・「我々も行くと参拝を特に気にしないで同程度に使い分ける」
でしたが、先ず、「慣れ親しんだ」と言われるならば、
・皇太子時代よりも在位なされていた時の方が長い が先ず一点。
次に、
・慣れ親しんだ言葉なら、周りが使う言語から、「行く(参るも入るのか)」
は「行幸」や上田さんが「親拝」と言われていましたが、それならまだ「親拝」
の方が慣れ親しんだと言えます。
・そして「我々も行くと参拝を同程度に使う」とありましたが、これも同程度の根拠が無いので
使えません(「同程度」としたのも、私の手続き上の瑕疵を問うためとは言え、後退した
主張ではあるなとは思いましたが)。
ついでに、上田さんは親拝を自敬表現と言われて、「自分には使わない」と
言われていましたが、そもそも御参拝、御親拝のように御をつけたならいざ知らず、
親拝ならば、親任と任命のように同じ意味でも「親」がついたからと特に
自敬表現にはなりません。
例えば
「朕(「余」、「私」でも言いですが)が親任しなかったのは・・・」
という使い方をしてもおかしくないように。流石に「御」をつけるとおかしいですが(笑)。
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