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靖国問題について考える

742ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/07/10(月) 01:19:08
>>723
この程度では「祭り」とは言いませんよ。せいぜい「ひさびさのさざ波」
ちなみに、「祭り」「炎上」というのは、イナゴが飛んできて有象無象の発言とも罵倒とも付かない短文長文ループで、一晩で数百以上のコメントが付いたり、1時間でスレッドがストップするような状態のことを言います。

そういえば友引さんは64歳ということでしたが、戦中の教育は受けていないんですよね。
戦争が終わって、転向したというか(笑)一斉に進駐軍に寝返った(米民主党的)リベラリストと、世に放たれて再起を図ろうとした日本共産党と、高度成長をブルジョアの搾取と見た労組と、就職前の学生によるお祭りであったところの学生運動華やかなりし時代に教育を受けた方、という認識でよろしいでしょうか?

天皇陛下についてはこのスレの話題とはズレるような気もしますが、その存在は必要と考えます。
そう言うと「ヤスツはネット右翼だ」と言われそうですが、「トップはトップとして存在し、責任は常にナンバー2である補弼者が引き受ける」ことで、補弼者が失敗しても国そのものが混乱に陥らない、というシステム(立憲君主制もしくは、権威と権限の分離)」というのは、国家を安定させる形態として理想的である、というのが昨今の世界的評価なんですが、一度王制や君主制をやめてしまった国はそうした立憲君主制に戻ることができないため、そうした形態が羨ましいのだそうですよ。
G8の国では、イギリスと日本だけが立憲君主制。アジアではタイ、欧州にはまだいくつかそういう形態の国がありますが、いずれも国の形態としては非常に安定しています。
日本は天皇制という名の立憲君主制を持つ、アメリカやフランスから見れば「羨ましい制度の国」でもあるわけで、そのあたりはもっと素直に評価すべきだと思いますがねえ。

天皇制をやめて、例えば大統領制にして大統領に「権威と権限」を集中させた場合、権限を持った責任者の失敗は「国としての権威の失墜」と同義語にもなります(クリントン・セクハラ事件とか)。
そうした「国民にとっての権威」を、政治の責任から分離護持することができている現状の天皇制は、むしろ誇るべきと思いますが。
でも、学生運動上がりの世代の人だと、そういう発想には行かないのでしょうかねえ。

憲法で言う「信教の自由」は、国民(この中には施政者も含まれます。行政府・立法府の人間も、日本国民なんですから)の信教の自由を保障しているのは、ご指摘の通りです。
施政者が宗教に肩入れしてはいけない、という進駐軍民生局が作った憲法草稿(現憲法)は、「宗教的教義信条を国が国民に強制し、その教義信条に基づいて戦争を起こさせてはいけない」という配慮から作られたものですね。(でも、進駐軍内でも民生局の暴走として後々問題になってるそうですね)
この「肩入れ」というのは、「政府が宗教を【作ってはいけない】」及び「政策に宗教を反映させてはいけない」という意図のものです。
政治家が何かの宗教に入信することは特に禁じていません。政治家も【国民】ですからね。

そして、安倍晋三の云々の件。
これは、安倍議員が「その宗教の教義を【作ろうとしている】」とか、「政策に【教義を反映させようとした】」のなら、大問題ですが。
また、「その宗教に寄付をした」または「その宗教から寄付を受けたことを、報告しなかった」ならさらに大問題ですね。

でも、違うでしょ?

その意味ではあまり問題にはならないでしょうね。
司法はあくまで行政府からも立法府からも独立している、というのが日本の三権分立の基本です。
「思い通りにならないものは、すべて敵の息が掛かっている」という陰謀論的な唆しはどうかなあ、と思います。

友引さんが、そういうように【義務教育】に教えられたのだとしたら、やはり「義務教育は偏った教え方をしていた」ということの証左になってしまうような気がします(´・ω・`)




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