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靖国問題について考える
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>>205
>うろちいさん
「一人の国民としてどうか(客観的に見てどうか)」と「個人としてどう
か(自分の気持ちはどうか)」の考えはそれぞれ違うものなのですよ。
反対派、賛成派以前にこれを混同している場合は、所詮はその意見は意味が
無いものです。
>人々一人一人の靖国参拝に込める意味が言語的に決めちゃいます。
ですからこのようなことは決めるのはいいが、賛成・反対の根拠に
なり得ません。個人的に好き嫌いで義務を決めれれば納税の義務なんて
さてどうなるでしょう。
ですからズラズラうろちいさんが続けられていますが、この根本のところが
どうかと思います。
次に私と友引さんに言及していることですが、
>その点、大神さんは「個人がどう考えているかはどうでも良い」と仰り
>ながら、友引さんの欺瞞への追求にはずいぶんご執心に見受けられます。
>僕がドライ過ぎるんですかね
いえ、多分ドライ以前に混同しているのだと思います。
私が言っているのは「個人の嗜好の次元で論じても仕方がない」というこ
とです。何故なら逆のベクトルのものを持ち出せば相殺されて、それこそ
最初から議論になりません。
>公理として通用しない以上、もう1つ掘り下げないと議論にならないです
>よ。
上述の通り友引さんの場合は
「個人の嗜好の域から外れていない」
ので議論にならないのですよ。
>ま、先ずは列挙してみないと、共有できているかどうかわからないわけ
>ですから、そこまでの友引さんの議論の手続きは間違っていないと思い
>ます。
「こういった点が問題である」→「何に照らして?」
と来るのであって、私が述べているのは列挙した次の段階で「意味が無い」
と指摘しています。
さしずめ今のうろちいさんは、大学のゼミなどで見当違いのこと
を言っていることに対して、それを私が「意味が無い」と指摘していること
に対して、「言うことは大事なのだ」と言っているようなものではない
でしょうか?
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