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誹謗中傷って、何?
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>>102 ヤスツさん
>何度も出てきた話題なんですけれども、
>「問題の存在を知らないことによって判断をする機会がなかった者には、自分の預かり知らないところで発生し、判断の機会が託されなかった問題によって起きた事象の責任を負う義務があるのか?」
>という疑問は、未だに解けないままですよ。
僕の見解ですが、
世の中にはいろいろな抑圧があり得るのは自明のことですから、「知ろうとする努力義務」があると思います。
僕たちは常に「知ろうとする」ことはできます。
それをするかしないかは「選択」です。
知ろとしたが知るに至らなかったのであれば、それ以降の行動に選択の余地は無く、責任もありません。
「知るに至らないこと」の原因に「知るための努力不足」が何割かでも入ってくるなら、その割合に応じて「知るに至らなかった」ことへの責任は生じます。
「知るに至らないこと」に対して責任に応じて、「知る」の帰結である「行為」に至らない責任も負います。
>ケースとしては、
>1)同時代に、問題があるのを知っていたのに、判断を回避した。その結果、判断に伴う責任を回避した
この人は「「判断」するのを回避する」という「判断」をしました。
前者の「判断」の責任は回避されましたが後者の「判断」に対して責任があります。
>2)同時代に、問題があるのを知らず、判断の機会があることも知らなかった。その結果、判断に伴う責任の発生も知らなかった。
冒頭の説明通りです。
この人が「知る努力義務」をどの程度果たせたかに依ると思います。
>3)後の時代に、以前、問題があったことを知らず、判断の機会はなかった。後から事実だけを「他人の判断(の総意)の結果」とだけ聞かされ、責任を求められた
問題が継続中なら知った時点からその問題をシェアすれば良いと思います。
知らなかったことの責任については前述の通りです。
なお、「世の中にはいろいろな抑圧があり得るのは自明のこと」は例えば幼児にとっては未知の知識です。
幼児が将来それを知るかどうかは教育する側の問題と言うことになります。
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