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誹謗中傷って、何?
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何度も出てきた話題なんですけれども、
「問題の存在を知らないことによって判断をする機会がなかった者には、自分の預かり知らないところで発生し、判断の機会が託されなかった問題によって起きた事象の責任を負う義務があるのか?」
という疑問は、未だに解けないままですよ。
ケースとしては、
1)同時代に、問題があるのを知っていたのに、判断を回避した。その結果、判断に伴う責任を回避した
2)同時代に、問題があるのを知らず、判断の機会があることも知らなかった。その結果、判断に伴う責任の発生も知らなかった。
3)後の時代に、以前、問題があったことを知らず、判断の機会はなかった。後から事実だけを「他人の判断(の総意)の結果」とだけ聞かされ、責任を求められた。
の3つがあることは理解してます? 皆さんは。
で、ハンセン氏病についてでも戦争責任でも侵略責任(私は侵略と言われる行為を悪事とは思っていませんけれども)にしても、同時代にも拘わらず判断を敢えてしなかった(無視した)(1)ならば、責任を放棄したと責められるのは理解できますよ。
しかし、(2)のように「そうした問題があることを知らされなかった、積極的に知る機会がなかった」それによって、判断も判断に伴って責任が発生することも知らなかったケースや、(3)のように「すべてが終わっていた」というケースでも、責任は問われるものなんですか?
この場合の責任というのは、「知ってしまってから発生する」ものであって、「知る前」には存在しないんじゃないですか?(←これも繰り返しヤスツが述べてきた意見)
もし、ハンセン氏病大発生の日本国内にいながらも、都市と離間孤絶した山間の村落にいた場合、そこでハンセン氏病が発生していなかった場合は、ハンセン氏病患者をどう扱うかについての自覚も意識もなく判断すら迫られないわけですから、差別も発生しません。
が、外の世界(村落の外)ではそうした差別や問題が発生している。その場合に、山間の村落の人々は積極的に外の世界の差別撤廃に乗り出すべきですか?
ハンセン氏病の存在を、村落の人々が知っていたならそうするべきだ、というのがうろちい氏他のご意見でしょうけれども、ハンセン氏病という病気の存在すら知らないまま、村落の中だけで帰結して一生を終える人々が、その病気の存在も病気に対する差別の存在も知らずに一生を終えた場合、その人は「ハンセン氏病に対する差別撤廃に働きかけなかった罪人」という責任を負わされるのですか?
ということなわけですが、どうせ猫氏の答えはわかってますのでまずは>>100さん(失礼ながらなんとお読みすればよいのか不明ですが(^^;))のご意見を伺ってもよろしいでしょうか?
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