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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>902
>> しかも前線では、慰安所設営など出来ません。高度分散配置(今後、説明します)により、小部隊でしかも長期に駐屯せざるを得なかった中で、拉致・強姦などの性犯罪が多かったのは、日本軍の作戦そのものにも原因がありました。以下は中国での事例ですが、フィリピンの抗日ゲリラが強かった地区と類似した要素があります。
これに対する説明です。石田米子・内田知行編著『黄土の村の性暴力』(創土社)からの引用しました。
日中戦争の全期間を通じ、日本軍は広大な中国大陸に膨大な兵力を投入したが、それは結局、「点と線」を抑えるにも足りなかった。早くも一九三八年の武漢作戦以降は大規模な侵攻作戦がなくなり、長期持久戦が呼号される中で、日本軍は小兵力の分遣隊を各地に配置して少しでも制圧地域を広げようとする。こうした配置を「高度分散配置」と呼んだ。
分遣隊の兵数はさまざまであったが、多くても一個小隊規模、少なければ一○人前後というのが普通であった。中隊本部からは孤立し、長期間トーチカ陣地にたてこもって過ごす中で、軍紀、風紀が乱れてくるのは必然であった。
また兵の訓練や教育の点からも弊害は大きかった。特に少尉以上を隊長とする将校分遣よりも、下士官を長とした下士官分遣において、その傾向は顕著であった。日本軍内部でもその問題を指摘する声はけっして小さくはなく、第一軍では始めからこれに対する不満が大きかったようである。
もちろん、方面軍においてもこの問題を軽視したわけではなく、折にふれて指揮下各兵団に問題提起を繰り返している。以下は、一九四一年一月に北京で行われた北支那方面軍兵団長会同における、方面軍参謀長の口演要旨である。ここで方面軍は各級指揮官に対し、「軍紀振作」の指導徹底を強く呼びかけた。
志気ノ昂揚、軍紀ノ振作ニ就テハ従来縷々訓示セラレ、各兵団亦鋭意之ニ努力サラレアル所ナルモ、駐留久シキニ亘ルト、高度分散配置ニ因ル教育ノ困難、監督ノ不十分等ニ起因シ、動(ヤヤ)モスレハ志気ノ沈滞、軍紀ノ弛緩ヲ来シ易キハ過去ノ実例ノ明澄スル所ナリ。
志気ノ沈滞、軍紀ノ弛緩ハ啻(タダ)ニ軍ノ戦闘力ヲ減殺スルノミナラス、民衆ニ對スル軍ノ威信ヲ失墜シ、敵ノ思想工作ト相俟テ民心ノ把握ニ致命的影響ヲ及ホスモノトス。即チ戦局ノ持久ニ伴ヒ愈々上級者ノ垂範、精神教育ノ徹底、不断ノ監督指導、特ニ信賞必罰ノ励行等ニ関シ部下ノ指導ニ一層留意サラレ度、……
しかしこうした指示がはたして末端の下士官、兵士に届いたのかさえ疑問であり、事態は改善されるはずもなかった。方面軍も、一九四一年以降は行き過ぎた分散配置をやめて可能な限りでの兵力集約を指示するようになる。ただし、それはあくまで相対的な手直しでしかなく、分散配置の基本が改められたわけではなかった。
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