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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>890 大神さん
> レイテも落としていない、ルソンにも上陸していない艦載機は数回程度の
> 攻撃しか出来ない。新鋭の四式戦を駆る第百戦隊、新藤部隊もいる。
> 「ゴキブリが出た」と言って学校の生徒全員が逃げ出すなんてないで
> しょう(笑)?
9月中旬からの爆撃は、ゴキブリに喩えられるような矮小化された事態ではありませんでした。
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方面軍(司令官 黒田中将、参謀長 佐久間少将)は二十一日朝、マッキンレーにルソンの各兵団長、マニラ防衛司令官などを会同して兵棋演習初日の日程に入った。方面軍司令官の訓示が終わったとたん、轟然たる爆音、炸裂音が響き、マニラ防衛司令官河島修少将は急遽自動車に飛び乗り、マニラに馳せ向かったのであった。マニラのみならず、北はアパリまで、あらゆる要地が(米軍の)艦載機の奇襲を受けた。
被害は甚大であった。船舶の損害は、「比島(フィリピン)ハ九月二十一日ー二十四日の(ママ)間ニ大型船三三隻、小型船一五隻、総計二○万屯ヲ撃沈破サレタリ」と報告された。
第一航空艦隊(司令長官 寺岡中将ーマニラ)は、九月八日の二八○機が、中比が空襲を受けたのちの十六日には一八八機に減じていたところ、今次の北、中比空襲後は一一○機に減じた。第四航空軍は二十二日既述三コ戦隊の発令を見たにかかわらず、二十六日ころには、可動機数が第二飛行師団一七五機、第四飛行師団三四機、第七飛行師団二八機に減じた。
『戦史叢書 捷号陸軍作戦〈1〉レイテ決戦』
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マニラ地区初の被空襲ー船舶被害甚大
九月十五日以降、比島東方海面から姿を消し動静不明となっていた米機動部隊は、突如として北比に来襲、九月二十一、二十二の両日連続して比島の首都マニラを空襲、そして二十四日には再び中比を襲い、その空襲は遠くコロン島にも及んだ。
九月二十一日の空襲では、○九三○から一八○○までの間、艦上機延四百数十機がマニラ及びクラーク地区に来襲、マニラ港及び航空基地に対し攻撃を加えた。この空襲はマニラに対する初めてのものであった。当日、索敵機は午前九時すぎに敵機動部隊を発見報告したのであったが、この報告の到着と前後して空襲を受けた。このため、マニラ地区の空襲も、ダバオやセブの場合と同じく全くの奇襲となった。
来襲の敵機に対し、一航艦の戦闘機四二機が邀撃に当たり、二七機の撃墜を報じたが、わが方もまた自爆、未帰還二○機のほか、地上機に若干の損害を受けた。この日マニラ港在泊艦船及びルソン島西岸を接航北上中の「マタ二七A」船団の受けた被害は甚大であった。同船団は延一五○機にのぼる攻撃を受け全部が沈没または大破するに至った。
空襲の第二日目(九月二十二日)には、○七三○から○九三○にかけて敵艦上機延二一○機が、前日に引き続きマニラ地区に来襲、多数の軍需資材が炎上喪失したほかまたもや船舶に少なくない損害を受けた。この日、一航艦の零戦攻撃隊は、米機動部隊に奇襲攻撃を加えた。
第三日の空襲は、なか一日をおいた九月二十四日に行なわれた。(中略)
この日もまた、コロン湾において受けた艦船の被害は甚大であった。マニラの南南西約一七○浬に位置するコロン湾には、当時、マニラ方面から避退した艦船が多数在泊しており、その中には水上機母艦秋津洲や給糧艦伊良湖もいた。同泊地は当時、敵の艦上機の行動圏外と思われていたため、わが方は全く意表をつかれたのであった。
この三日間における艦船の損害は、沈没だけでも艦艇七隻、船舶三一隻の大量にのぼった。
『戦史叢書 海軍捷号作戦〈1〉台湾沖航空戦まで』
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