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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>618イカフライさん
>例えば、県庁食堂で不法就労の外国人が働いていることを県側の食堂責任者っていうのですか。
>例えば福利厚生課課長とかかなあ、が、知っていながら放置してたとすると、この場合、その厚生課長にも責任はある程度生じるようには思えます。
強制的に、あるいはだまされて連れてこられたと知っていて売春させていたのなら
「ある程度の責任」というより監禁、強姦の共犯と言っていいでしょう。
96年国連人権委員会におけるクマラスワミ報告書では、得られた16の証言の中のいくつかが紹介されています。
「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。
13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力を失いました。」
「一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片で覆われるまで転がしました。最後に、彼らは彼女の首を切りました。」
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。
そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令され・・」
など。
http://www.jca.apc.org/JWRC/center/library/cwara.HTM
これらの証言が真実であるとすれば、これは「共犯」以上でしょうね。
中田さんが順次資料を出されていくでしょうから、あまりでしゃばらないようにします。
また話が拡散してしまいそう^^;
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