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自民党スレ2
66
:
OS5
:2024/08/16(金) 17:04:56
https://news.yahoo.co.jp/articles/63470983fde51be39c604948c7ecc33c2fe04222
現職首相で出馬断念は菅義偉、海部俊樹、鈴木善幸氏 野党総裁は谷垣禎一、河野洋平氏
8/14(水) 16:46配信
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コメント9件
産経新聞
次期総裁選への不出馬を表明する岸田文雄首相(自民党総裁)=14日午前、首相官邸(春名中撮影)
岸田文雄首相(自民党総裁)は14日、首相官邸で臨時の記者会見を行い、9月の党総裁選への出馬を見送る考えを表明した。今回と同じく、現職の首相として令和3年に菅義偉、平成3年に海部俊樹、昭和57年に鈴木善幸各氏がそれぞれ総裁選出馬を断念した。野党時代に総裁を務めた谷垣禎一、河野洋平両氏も首相就任を目前に出馬断念に追い込まれた。また、過去には現職の首相が総裁選で敗れた例もあり、岸田首相の決断には、こうした事態を回避し、党内の一致団結を優先する狙いもあったとみられる。
【アンケート結果】「次の自民総裁」ふさわしいのは誰?
■実績を挙げながらも…
菅氏を巡っては、携帯電話料金の値下げやデジタル庁創設など実績を挙げつつ、新型コロナウイルス禍への対応で情報発信のあり方などが批判を浴び、内閣支持率の下落を招いた。令和3年8月に地元の横浜市長選で全面支援した側近の元閣僚が敗れると、衆院選を目前に控えた選挙基盤の弱い所属議員から「菅氏は選挙の顔」にならないと不安視する声が上がり、求心力が急速に低下した。
党役員人事の刷新構想も実現できず、腹心の小泉進次郎環境相(当時)も菅氏に退陣を勧めた。政権運営に行き詰まった菅氏は再選断念を余儀なくされた。菅氏は後継に河野太郎ワクチン担当相(当時)を挙げたが、河野太郎氏は同年9月の総裁選で議員の支持拡大に欠け、岸田首相に及ばなかった。
海部氏は平成3年、衆院への小選挙区比例代表並立制導入を柱とした政治改革関連法案が党内の強い反発で廃案が確定。「重大な決意」で政局に臨む考えを表明し、結果的に「衆院解散か総辞職か」の二者択一を迫られたが、後ろ盾となっていた最大派閥の旧竹下派が衆院解散を認めず、総裁選への不出馬に追い込まれた。
鈴木氏は昭和57年の総裁選で再選が見込まれたが、直前に退陣を表明。党内抗争の激化を回避したかったためといわれている。
■首相への道、直前で閉ざされる
野党時代に総裁を務めながら、首相就任の公算が大きくなると党内抗争の結果、出馬断念に追い込まれた事例もある。
河野洋平氏は平成5年7月〜7年9月、細川護熙、羽田孜両政権に野党・自民党総裁として対峙し、自社さ政権で副総理兼外相として社会党の村山富市首相(当時)を支えた。村山氏の次の首相は自民総裁と目された中、7年7月の参院選で自民の獲得議席はふるわなかった。河野洋平氏は再選の意向を示したが、同年9月の総裁選に向けて「河野氏包囲網」が敷かれ、出馬断念に追い込まれた。河野氏の後任となった橋本龍太郎氏は8年1月に首相に就任。自民党から首相が選ばれるのは約2年半ぶりだった。
谷垣氏は民主党政権だった24年の総裁選で再選を期したが、幹事長に起用した石原伸晃氏が「私は谷垣氏を支えるために政治をやっているのではない」と出馬に意欲を示したため、事態が急転した。一本化の調整が試みられたが、谷垣氏は形勢が不利になり、出馬を断念した。石原氏は「平成の明智光秀」と悪評が立ち、同年の総裁選は安倍晋三氏が勝利。同年12月の衆院選で政権奪還を果たした。
現職の首相が出馬し、敗れた総裁選は過去に1度だけある。福田赳夫首相(当時)が臨んだ昭和53年11月の総裁選は、幹事長を務めた大平正芳、総務会長だった中曽根康弘、通商産業相の河本敏夫の3氏が福田氏に弓を引く形で出馬した。
全国の党員・党友による初の予備選が採用され、政権運営に自信を深めていた福田氏は「予備選で2位となった候補者は本選を辞退すべきだ」と豪語したが、福田氏本人が予備選で大平氏に次ぐ2位に終わった。福田氏は「天の声もたまには変な声がある」との「名言」を残し、本選を辞退した。
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