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自民党スレ2
43
:
OS5
:2024/08/13(火) 09:49:50
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e544d56c3d43e1952e6037e939274c17dcc866f
「沖縄離れ」進む自民 米兵性暴力で政府への苦言なし【解説委員室から】
8/11(日) 15:30配信
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時事通信
沖縄復帰記念式典であいさつする山中貞則総理府総務長官兼沖縄開発庁長官(右)=1972年5月、那覇市
沖縄県で発生した米兵による少女への暴行事件が県側に伝えられていなかったことについて、自民党の実力者からは、政府に苦言を呈する声は聞かれない。太平洋戦争で唯一地上戦が展開された史実を踏まえ、政治家人生を懸けて、沖縄を巡る諸問題に取り組んだ実力者が2000年代初頭まではいた。当時と比べ、自民党政治家の「沖縄離れ」は鮮明だ。(時事通信解説委員長 高橋正光)
【写真】守礼門前で行われた2000円札発行記念式典
◇官邸に報告、県には伝えず
事件が起きたのは昨年12月。米兵は不同意性交罪などで起訴された。外務省は首相官邸には報告したものの、県や防衛省には連絡せず。今年6月になり、メディアが報じたことで事件が表明化した。
これをきっかけに、今年5月にも米兵による性暴力事件があり、外務省が同様に、県に伝えていなかったことも明らかになった。
こうした政府の対応に玉城デニー知事は激しく反発したが、上川陽子外相は7月30日の参院外交・防衛委員会の閉会中審査で「問題があったとは考えていない」と強調。県に伝えなかった理由を「被害者のプライバシー」などと説明した。
もっとも、6月16日には沖縄県議選が行われており、政界では「選挙へのマイナス材料と考え、政権の判断として伝えなかったのだろう」(野党関係者)との見方が消えない。
県議選の結果、自民、公明両党は16年ぶりに多数派となり、2年後の知事選での県政奪還に向け、足場を築くことになった。
◇初代開発庁長官、山中貞則氏
来年の8月15日で終戦から80年。かつては、自身の戦争体験などから沖縄に思いを寄せ、基地負担の軽減や経済振興などに懸命に取り組んだ実力者が自民党に複数いた。その一人が、山中貞則元通産相(1921年7月―2004年2月)だ。
山中氏は、鹿児島県末吉村(現曽於市)出身。台湾国民学校の教師を経て、戦時中は中国大陸を転戦。復員後、鹿児島県議を経て、53年の衆院選で初当選し、当選17回を重ねた(在職47年9カ月)。この間、佐藤栄作内閣で70年、沖縄の復帰問題を担当する総理府総務長官で初入閣し、72年の返還に伴い初代の沖縄開発庁長官に就任した。
曽於市の「山中貞則顕彰館」の資料によると、山中氏は政治家を目指すに当たり、「戦没者に対し、生き延びている事に申し開きのできる人生を歩む」と誓ったという。
戦時中、鹿児島県内には鹿屋(海軍)や知覧(陸軍)などの航空基地があり、多くの特攻隊員が沖縄に向けて出撃している。山中氏が沖縄振興を政治家としてのライフワークにしたのは、こうした地域事情もあっただろう。同時に、「政治の師」でもある当時の佐藤首相が「沖縄返還」を政権の重要課題に掲げたことも一因のようだ。
山中氏は、沖縄の課題は一律ではなく、島ごとに異なると痛感。直接話を聞くため、48の有人離島を全て回り、683本の沖縄関連の特例法の制定や改正に関わった。名誉県民に唯一選ばれ、県内には、通称「やまなか通り」がある。
山中氏は自民党税制調査会長として、消費税スタート時の税率を3%にする方針を決めるなど、「税調のドン」としても知られる。山中氏が税制のプロになったきっかけは、佐藤蔵相の下で大蔵政務次官となり、佐藤氏から税制を学ぶようアドバイスされたこと。佐藤氏抜きで、山中氏は語れない。
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