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第26回参議院議員選挙(2025年)

16OS5:2023/07/03(月) 11:03:50
平成の明智光秀
 当時、自民党の総裁だった谷垣禎一氏はもちろん再選を目指していたが、出身派閥・宏池会のボス・古賀誠氏の支援を取り付けられず、さらに悪いことに幹事長だった石原氏が出馬を表明したために、出馬辞退を余儀なくされてしまう。結果、この時の石原氏の行動は「裏切り」だと評されることになる。

「石原氏としては早く名乗りをあげなければと焦っていたように記憶しています。党内で影響力のある森喜朗元首相や青木幹雄元官房長官の支援は得たものの、そもそも可愛がってきた子分はあまりいないし、地方での人気もイマイチ。早めに動かねばということで出馬を宣言してしまったのでしょうが、それで谷垣氏が出馬できなくなってしまった。永田町というところは今もなおムラ的なところで、当時はもっとそういう傾向が強かった。丁寧に誠意をこめて説明を重ねて段階を経ていれば問題なかったはずですが、そういうこともしなかったので、総裁を裏切った幹事長だと見る向きは多かった。そのため“平成の明智光秀”などと言われるようになって、彼の勢いは一気に失速していきました」(同)

 一時は総裁間違いなしと見るムキもあった中、決選投票にも残ることができなかったので惨敗といってよい結果だった。これは石原氏にとって大いにショックだったことだろう。

「最後は金目」「ナマポ」
「その後、安倍政権下では大臣を務め、小所帯ながら派閥の領袖にもなりましたが、当時から首相への意欲を失っていたのか緊張感が伝わってこなかったですね。当時の総裁を押しのけてまで権力に執着した姿はいったい何だったのかという印象もありました」(同)

 そのせいか、「最後は金目」とか「ナマポ」などといった失言が繰り返し発せられたのかもしれない。

「霞が関では、良くも悪くも欲のない人との評価が定着しており、指示は細かくなくてパワハラ的でもないので官僚らは“与しやすい”大臣だと見ていたようです。世襲でサラブレッドを自認してきた本人としては、明智光秀呼ばわりは不本意だったことは間違いないでしょう」(同)

 もちろん2年後に参院議員として再起し、憲法改正などの懸案に関与する可能性もあるだろうが、現時点では、この鞍替えに対して好意的な声は小さい。それもこれも、あの「平成の明智光秀」と目された一件が尾を引いているとすれば、裏切りの代償は大きかったということになる。

「今回も地元で長年応援してくれてきた支援者への裏切りとも取れます。憲法改正を目指すために、衆院ではなく参院でなければならない必然性は無いわけですから、なかなか理解されにくい行動だなと思いました」(同)

デイリー新潮編集部

新潮社


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