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第50回衆議院議員総選挙(任期満了2025年)スレ

3151OS5:2025/01/18(土) 10:43:30
 佐金さんは、山本さんに驚かされてばかりだった。「わかちゃんには裏表がない。肝が据わっているけれど、かわいらしさがある」。これまでに会ったことのないタイプの政治家だった。落選した後は「福知山でネギを栽培することにした」と聞き、仰天した。畑に入り、土まみれの手足と笑顔で作業する傍ら、地元を走り回って住民の声に耳を傾ける姿を、間近で見続けた。
 ▽衆院選前にかかってきた電話

 衆院選が近づきつつあった4月のある日、山本さんから佐金さんに1本の電話がかかってきた。「後援会の代表幹事をやってくれませんか」。佐金さんは驚き、いったんは断った。「自分に務まるわけがない」と。職場でも、家庭でも、周りにいるのは自民党支持者ばかりだった。保育の業界も支持者が多い。周囲の目が気にならないと言えばうそになった。

 それでも、山本さんを見てきて思うところがあった。「自分に利がある、ないではなく、地域で実際に困っていることを聞き、国政にフィードバックする。その姿勢に共感した」。地元を回り続けた「わかちゃん」の力になりたい。佐金さんは迷った末、代表幹事を引き受けた。
 ▽「個人ファン」が集まった後援会

 佐金さんら40、50代の若手を代表に据えた「山本わかこ福知山後援会」は2024年4月に発足した。中心となる幹事は20人弱。政党や労働組合とは関わり合いのない、山本さんを純粋に応援する「個人ファン」の集まりだ。その1人、松井博孝さん(80)は約4年前、山本さんが参院議員秘書だった時に知り合った。3年前の衆院選で敗れた山本さんはその数日後、松井さんの自宅を訪れ、こう言って頭を下げた。「次は勝ちたい。力を貸してください」。松井さんは決意を受け止め、後援会の創設に奔走したという。

 後援会は月1回幹事会を開き、ポスター掲示やイベントの実施について話し合った。幹事は山本さんの朝立ちにも同行した。山本さんが住民と対話する「語る会」も開催した。地域で何が課題となっているのか、山本さんがどのような政策を考えているのか。福知山、綾部、舞鶴、京丹後の4市で毎回100人以上を動員した。
 衆院が解散されると、松井さんは選対本部長に就任した。後援会幹部は山本さんのイメージカラー、ピンクのジャケットに身を包み、ピンクのリボンを巻いた選挙カーで、京都府北部中を走った。

決起集会で「ガンバロー」コールをする山本和嘉子さんと支援者ら=2024年10月23日、京都府福知山市

 ▽自分の立場でできることを

 代表幹事となった佐金さんは、自ら表に出ることは避けるつもりだった。自民党支持者が大半を占める保育の業界にいる身で、できることは限られていたからだ。それでも、友人として可能な限り力になりたい。葛藤の末、事務所開きの日からマイクを握った。夜の個人演説会では保育現場の窮状を訴え、山本さんならそれを変えてくれると力説した。

 思い切って、家族や友人、知人に声をかけてみた。「山本和嘉子を応援しているんだ」。すると「選挙に行ってみようかな」という声がいくつも返ってきた。
 山本さんは声をからして支持を訴えた。立憲民主党の枝野幸男前代表(当時)を招いた舞鶴での演説会では感極まった。「3年前の落選後『やり直したい』と松井さんに言った時は『並の覚悟じゃできないぞ』と言われて足がすくみました。それでも、一人暮らしの高齢女性の暮らし、物価高、後継者不足、公共交通の人手不足、いろんな思いを聞いて、この地域をもっとよくしていきたい、その思いでチャレンジすることにしました」。集まった支持者らには、涙を流す人の姿もあった。


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