[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
第50回衆議院議員総選挙(任期満了2025年)スレ
291
:
OS5(旧チバQ)
:2023/01/04(水) 11:37:52
■立てば0・5ミリでも前進する
野田佳彦氏が駅前で配っている政策ビラ。乗降客の多い駅では1日3千枚を配布するという
29歳で県議に当選し、36歳で日本新党から国政に進出。新進党、民主党と所属は変わったが、平日の駅立ちは続けた。
たとえ前日仕事で遅くなっても、二日酔いでも、風邪をひいても駅に立った。最近では、新型コロナウイルスのワクチン接種で副反応があった時も、体にむち打ち、駅に向かった。「1日でも立てば0・5ミリでも前進する。自分の都合で休んでしまったら後退してしまう」
街頭に立てば応援してくれる人ばかりではない。所属政党や政治活動が逆風の時は、野田氏に向けられる目も厳しいものがあった。
2012年12月に首相を退任した後、駅立ちを再開した。支援者によると、野田氏は見知らぬ人から「あなたが民主党を駄目にした」などと容赦ない言葉をぶつけられ、受け取ったビラをその場で投げ捨てられたこともあったという。
野田氏はたんたんとビラを拾い、厳しい声にも耳を傾け続けた。「逆風の時こそ有権者の前で説明責任を果たさないといけない。長い目で見れば、信頼につながるはず」と信じた。
■首相退任後よぎった引退
実は、首相退任後、引退が頭をよぎった時期があった。短いながら首相となり、課題に全力で取り組んだという達成感がどこかにあった。「これから政治活動が惰性になってしまうのではないか」とも危惧した。
ただ、12年の総選挙で大敗した民主党はその後、離合集散を繰り返し、野党は多党化した。自民1強が際立つ中、自身が希求した二大政党制が遠のく様にじくじたる思いだった。
この10年の野党を「私も含め挫折の連続だった」と振り返る。「このままではいけない。もう一度、政権交代できる世の中をつくりたい。せめて道筋をつけなければいけない」。引退する案は消えた。
心に残る人がいる。民主党衆院議員だった永田寿康氏。弟のような存在で親しく付き合い、ともに二大政党制の夢を追った。その永田氏は06年、偽物のメールを根拠に自民党幹部を追及してしまい、議員辞職に追い込まれた。国対委員長で上司だった野田氏も引責辞任した。
そして永田氏は、09年に民主党が政権を獲得する前に自ら命を絶った。支えられなかった自責の念と、政権交代を見せられなかった心残りが今もある。「永田氏は、今の1強多弱の状況をどう思うか。私は死んでも死に切れない」
民主党の後継政党「民進党」の解党後はしばらく無所属だったが、20年9月に旧立民と旧国民民主党が合流した際に参加した。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板