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中部 地方議会・首長,政治・選挙スレ
471
:
OS5
:2023/03/12(日) 17:16:16
https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1011065?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink
愛すべき男「最期まで仕事」 首長、県議ら「無念」 山田白山市長死去
政治・行政
2023/3/11 05:00
10日、山田憲昭白山市長の訃報に接した県内の首長や県議、国会議員らは、一様に「無念でならない」と肩を落とした。誰もが認める人柄の良さと面倒見の良さで広く愛される存在だっただけに、「現実として受け止められない」と涙する人も。「最期まで仕事をするんだという情熱、執念があった」と、病を押して公務に向かい続けた姿に政治家としての覚悟を感じ、胸を打たれたとの声も聞かれた。
「言葉にならない。まだ受け止められない」。かねて親しかった井出敏朗能美市長は声を震わせ、「バランスの取れた市政運営は自分の道しるべにもなっている」としのんだ。前哲雄川北町長は「兄貴のような存在。あれだけ気遣いのできる人はいない」と惜しみ、粟貴章野々市市長も「言葉に表すことができない強いショックを受けている」と沈痛な面持ちで語った。
●議場で落涙
南加賀の首長では最年長で、豊富な政治経験で誰からも頼られる存在だった山田氏。宮橋勝栄小松市長はこの日の市議会の質疑で、何度も涙で声を詰まらせながら「倒れる前日(今月5日)にも、市境の道路整備にともに取り組もうと意欲的に話をされていた。市長としてまだまだけん引してほしかった」と冥福を祈った。
5期務めた県議の同僚にも衝撃が広がった。1995(平成7)年の初当選同期に当たる下沢佳充氏(自民)は「肝胆相照らす仲だったので悲しみを禁じ得ない。私が敗戦した金沢市長選で、旗幟鮮明に応援してもらったことは一生忘れない」と悼んだ。
山田氏が自民入りする前の無所属県議時代、会派「地域政治研究会(地政研)」をともに結成した矢田富郎津幡町長、山田省悟元県議とは長年、家族ぐるみで付き合った。矢田町長は「いい男、愛すべき男やった。最高の盟友を失った」と目頭を押さえた。
●公務のため転院
矢田氏によると、山田氏は金大附属病院に入院中は外出が認められず、病院から市役所へ通えるようにと公立松任石川中央病院に転院したという。「真面目すぎる男だった」と人柄をたたえた。
山田省悟氏が7日に病室を見舞った際は「ノリちゃん、来たよ」と声を掛けると、まぶたがぴくぴくと動いたという。「立場が変わっても仲良くしてもらった。市長にふさわしい人物で、大事な友達だった」と悲しみをこらえた。
自民県連会長の宮本周司財務政務官は10日夕、自宅を弔問に訪れた。「回復を願っていた。つらく悲しく残念な気持ちでいっぱい」と頰をぬらし、後任を選ぶ市長選については「佐々木紀衆院議員を中心に白山市の自民支部、県市議らで話をしないといけないが、今は整理が追いついていない」と述べるにとどめた。
山田氏が吉野谷村長、自身が副知事の頃から親交がある県公立大学法人理事長の谷本正憲前知事は2月上旬に懇談したのが最後になったとし、「80数キロあった体重が64キロに減ったと言いながら、白山手取川ジオパークの世界ジオ認定でいかに市を発展させるかを、とうとうと語っていた。仕事への使命感が人一倍強かった」と表情を曇らせた。
●知事「思い出ありすぎる」
馳浩知事は記者団の取材に対し「議会の最中で倒れたことを思うと無念でならない」と語り、「思い出はありすぎるぐらいある」と追悼した。
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