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首都圏・東京 地方政治綜合スレ

3111OS5:2026/01/04(日) 12:59:29
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/01030801/
「元首相」に「ミナトのドン」も…カジノをめぐって混迷極めた「2021年横浜市長選」騒動の顛末
篠原章 揉め事の研究 国内 社会

2026年01月03日

 記憶に残る「揉め事」を現代の視点で振り返る「揉め事の研究」。第1回【地元政界の恩讐が渦巻いた「2021年横浜市長選」…カジノ誘致に反対した「ハマのドン」の思惑と「ミナトの裏面史」】では、因縁の市長選に至るまでのミナトの歴史を振り返った。第2回では「ハマのドン」こと藤木企業の藤木幸夫氏を中心に、大混戦となった横浜市長選の深層に迫る。(全2回の第2回)【篠原章/批評家】

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「政商」と陰口も
 藤木幸夫を中心とした港湾関係者の努力のおかげで、「辛く汚く危険な3K労働」の見本のように言われてきた荷役夫は港湾労働者と呼ばれるようになり、博徒(やくざ)の温床としてしばしば忌み嫌われてきた荷役会社は、歴とした港湾企業に生まれ変わった。ミナトは大きく変身を遂げたのである。その影響は横浜のみならず、全国各地の港湾に波及し、山口組が事実上仕切っていた神戸港もこの流れに逆らうことはできなかった。

 港湾労働者の居住環境、生活環境、教育環境の改善のために幸夫のなすべき仕事も多岐にわたった。一例を挙げると、かつて横浜では、大岡川、派大岡川、堀割川、帷子川、鶴見川などに艀(はしけ)を浮かべて暮らす船上生活者(そのほとんどが港湾労働者)が多数見られ、横浜の「風物詩」に数えられるほどだったが、1980年代以降、その数は漸減し、現代ではまったく見られなくなった。艀は生活の場であり生業の場だったが、受けた仕事によっては横浜港から川崎港、東京港、千葉港などに移動することもあった。

 移動の都度、子弟たちの通学先や通学するための住地が問題となったが、この問題は彼らの居住先(住宅)を陸(※おか)に確保することによって大幅に改善される。そのための努力を幸夫は惜しまず、本牧ポートハイツなどといった港湾関係者専用住宅を建設した。これは幸夫の功績のひとつだ。かつての港崎(みよざき)遊廓の跡地に造成された横浜公園の一角に横浜スタジアムが誕生したのも、川崎から横浜に拠点を移した横浜ベイスターズ(旧称・大洋ホエールズ)が市民の人気を博するようになったのも、市民の娯楽の一つとなっているFM横浜の創設も、幸夫の力に依るところが大きい。

 港湾や港湾労働者に関わるこのような改善の努力を重ねるプロセスで、国(国土交通省)、横浜市、神奈川県、日本住宅公団(現・都市再生機構)などの行政や、国会議員、市会議員、県会議員(政令市・横浜では市会議員の権限が県会議員を上回る)などの政治家との折衝の機会も増えたが、幸夫のこの様子を見て、口さがない人々は幸夫の意図を知ってか知らずか、「ミナトの博徒が政商に成り上がった」と陰口をたたいた。こうした陰口も含め、幸夫の影響力をひと言で言い表す言葉として、「ミナトのドン」あるいは「ハマのドン」といった表現が定着していった。

「最大の理由はギャンブル依存症だよ」
 そんな藤木幸夫にとって山下埠頭(1953年一部完成・1963年全面完成)は、堅気になってからの父の活躍した場であり、父と共に汗を流した荷役夫の生業の場だった。言い換えると、藤木家や横浜の繁栄を支えた労働者・関係者の縄張りである。

 そこにアメリカの博徒(カジノ企業)がやってくる――山下埠頭へのカジノ(IR)誘致の計画を聴いたとき、幸夫が何らかの抵抗を覚えても不思議はない。

 幸夫は、父・幸太郎の入れ墨のある背中を見て育った。その経験は、幸夫の人生に様々な陰翳を与え、かつ幸夫の原動力にもなったと思う。確実に言えるのは、幸太郎・幸夫父子の働きがなければ、荷役夫の労働環境・生活環境は改善されなかったろうし、荷役夫のパブリック・イメージも暗いままに留まっただろう。実態的には、昔日と同じ重労働を強いられる荷役夫はほとんどいない。多くはクレーンやフォークリフトを巧みに操る技能者であり、一人前の家庭を構えたサラリーマンや派遣社員である。

 もちろん、その背景には技術進歩があるが、進歩した技術の導入にあわせて整備された労災や社会福祉などの制度もある。労働組合の貢献度も高いが、昔風に言えば「親方」にあたる人々が音頭を取らなければ、けっして前には進まなかったろう。彼らを精神的に支えたのは、「ミナトで働く者」としての誇りやアイデンティティであり、もっといえば「義理と人情」の伝統だった。近代の合理主義や効率主義と一見相反するように見えるこの「義理と人情」が、ミナトの合理化を進め、仕事の安定性・安全性を高め、暮らしの改善に大きく寄与したのである。幸夫はさらに、「博徒の血筋」と揶揄されることを嫌って、スポーツや文化の振興にも力を入れ、地域の課題にも積極的に取り組んだ。前出の横浜スタジアムの建設やFM横浜の創設がその一例である。


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