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首都圏・東京 地方政治綜合スレ

3104OS5:2026/01/03(土) 20:55:24
https://news.yahoo.co.jp/articles/0543c9ace4d2c0c85179f7abc011f72f4685dab3
つくば市誕生(昭和62年)① 6町村合併、紆余曲折の舞台裏 いばらきの昭和100年
2025/12/27(土) 11:00配信


昭和62年6月17日夜、茨城県桜村内のそば店で開かれた会合に12人の男たちが顔をそろえた。筑波研究学園都市を構成する6町村の正副議長だ。

集まりを催したのは、市町村の行政運営などを指導する立場の県地方課。席上、同課長の江田俊樹は正副議長らに対し、6町村の合併による新市誕生への協力を要請した。

■性急過ぎる進め方

会合後、江田は「出席者はすべて合併そのものについては前向きの姿勢だった」と手応えを口にした。だが、県の試案は同年11月中の合併を目指すとしており、タイムリミットまで半年もない。性急過ぎる県の進め方に出席者から疑問の声も上がった。

各首長の反応もさまざまだった。学園都市の中核を担う桜村の村長、倉田弘は「合併には賛成の立場だが、その時期が問題。十分話し合って結論を出すべきだ」と指摘。同じく中心部に位置する谷田部町長の木村操は自らを「合併賛成論者」と称しながら「懇談会の内容が分からず、コメントは控えたい」と慎重だった。

豊里町長の野堀豊定は「話の持っていき方がおかしい。まず町村長の意見を調整すべきだ」と県を批判。3年前、59年暮れの町長選で合併を〝時期尚早〟と批判し当選した筑波町長の井坂敦実は「何も申し上げられない」とノーコメントを貫いた。

■ヘリで建設地決定

筑波研究学園都市は、科学技術の振興や東京の過密対策などを目的に、池田隼人内閣時代の38年9月、6町村から成る約2700ヘクタールの広大なエリアに国の研究機関や大学などを移転する計画が閣議決定されたことに始まる。

学園都市の建設予定地は、当時の河野一郎・首都圏整備委員会委員長がヘリコプターで上空から視察して決めたことは有名だ。

55年には研究機関や教育機関の移転が完了し、学園都市が形となった。60年3月から約半年間には、谷田部町を会場に国際科学技術博覧会「科学万博―つくば’85」が開催され、2千万人以上が来場。〝科学都市つくば〟の名を内外に知らしめた。

このチャンスに学園都市のまちづくりをもっと一体的に進めたい県知事の竹内藤男にとって、6町村合併は是が非でも成し遂げたい悲願だった。

実は、県は5年前の57年にも6町村へ合併を持ち掛けたが、当時の首長らの反対を受け、いったん断念していた。「科学万博を新市で開催したかった…」。竹内は悔しさをにじませていたという。

■水面下の動きも

後に谷田部町長の木村が親しい知人らに明らかにしたところによると、地方課が動き出す5カ月前の62年1月15日(当時は成人の日)に水戸市内の高級料理店へ竹内から呼び出された。

「6町村の中で、あなたが中心になって合併を進めてくれないか」。単刀直入な要請だったが、木村はすぐには首を縦に振らなかった。前年9月の町長選に2度目の挑戦で初当選したばかり。ようやく手にした首長の座には未練があった。

自分がどれだけ選挙戦で苦労を重ね、町長の座を手にできたのか、木村は竹内へ訴え続けたが、最終的には〝合併推進〟を了承したという。

地方課が正副議長との会合を開いた4日後の62年6月21日、県は桜村内に6町村の首長らを集め(大穂町長の稲葉勝行は病欠)、年内の合併を正式に要請した。竹内は「つくばには大きなプロジェクトが今後も控え、6町村はしっかりとした体制を取らなければならない」と力説した。

このとき、首長の中では木村のみが「合併時期については知事の提言を尊重したい」との態度を表明。年内は時期尚早とする他町村とは異なる反応を見せた。

そして約1週間後の29日、竹内が県議会の一般質問で「6町村の全体合併が望ましいが、町村によっては難しい場合もあると考えている」と答弁し、一部による〝部分合併〟の容認を示唆。以後、合併問題は各首長らの思惑もからみながら、混迷の様相を呈していくことになる。(文中敬称略)



茨城県内の昭和の歴史を振り返る企画の第6弾は、紆余曲折をたどったつくば市誕生の経過を4回にわたって振り返ります。


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