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新・大中華世界的話題
673
:
チバQ
:2015/11/23(月) 20:15:12
>>666-667
http://www.sankei.com/politics/news/151123/plt1511230024-n1.html
2015.11.23 18:01
【金泳三氏死去】
反日愛国に精出す 竹島に埠頭“独島愛国主義”のスタート切る
(1/3ページ)
金泳三・元韓国大統領
22日未明に87歳で死去した金泳三氏の韓国政治史における功績は、金大中(キム・デジュン)氏と並ぶ民主化の闘士で野党出身ながら、漸進的民主化で過渡期の韓国政治を安定に導いたことだ。
決断力で知られ、1990年代初め軍人出身の盧泰愚(ノ・テウ)大統領が率いる与党との電撃的な与野党合同に成功。その後、大統領になって「初の文民政権」をスタートさせた。軍出身者が影響力を持つ与党と手を握ることで、軍人政権から文民政権へ混乱なき権力移行を実現した。
彼のすごいところは、政権を握った後、軍部から政治的軍人を一掃するなど軍改革を断行したことだ。しかも、大統領を務めた全斗煥(チョン・ドゥファン)氏と盧泰愚氏を過去のクーデター行為や政治資金疑惑などで裁判にかけ投獄したが、国家的、政治的動揺はまったくなかった。
旧勢力を押さえ込んだこの安定的改革のおかげで、軍部をはじめ保守層や一部地域の反発が強く、闘争的とみられ落選を繰り返してきた金大中氏にも次期大統領当選の機会が訪れた。
70年代以来、野党陣営の中心にあった金泳三・金大中氏は“両金時代”といわれたが、一方では永遠のライバルであり、性格や政治スタイルは対照的だった。
知的で重厚でカリスマ性(神格性)のあった金大中氏に比べ、金泳三氏は開放的で人懐っこく親和力があった。「金大中氏は近寄りがたいが、金泳三氏は助けてあげたくなる」というのが当時の政界記者たちのもっぱらの評だった。
決断力の人として、94年の朝鮮半島核危機の際はクリントン米大統領に対北軍事行動を思いとどまらせ、金日成(キム・イルソン)氏との初の南北首脳会談を実現寸前までもっていった。金氏の急死で白紙となったが、実現していれば金大中氏ではなく彼がノーベル平和賞だっただろう。
大衆性の強い政治家だったため、反日愛国にも精を出した。竹島(島根県隠岐の島町)に埠頭をつくったが、これがその後の韓国社会の“独島愛国主義”のスタートとなった。
「歴史の正しい立て直し」などと称して、博物館になっていた日本統治時代の旧総督府ビルを解放50周年記念で爆破解体した。慰安婦問題では「河野談話」やアジア女性基金による解決策を軽視し、問題を長引かせてしまった。
反日愛国ポピュリズム(大衆迎合主義)の“原作者”として、日本には苦い思いが残る人でもあった。(黒田勝弘 ソウル駐在客員論説委員)
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