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新・大中華世界的話題

667チバQ:2015/11/23(月) 11:22:34
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201511/CK2015112302000127.html
金泳三元大統領死去 「両金時代」去る

2015年11月23日 朝刊


 【ソウル=上野実輝彦】二十二日に八十七歳で死去した韓国の金泳三(キムヨンサム)元大統領は、金大中(キムデジュン)元大統領=二〇〇九年死去=とともに軍事独裁政権下で民主化運動を率いる一方、大統領選で激しく争うなどしたライバル関係だった。二人が世を去ったことに対し、韓国メディアは「『両金時代』が去った」(聯合ニュース)などと表現し、生前を振り返った。
 「夫とともに長く民主化のため闘ってきた。国民は金泳三氏のことを、国を変えた大統領として記憶していくでしょう」。金大中元大統領の妻の李姫鎬(イヒホ)氏は二十二日、理事長を務める団体を通じてコメントを発表した。
 二人は一九七〇年代から、野党政治家として頭角を現し始めた。軍政下でともに政治活動禁止などの弾圧を受けつつ民主化に向けて協力、八七年に大統領の直接選挙を復活させた。
 だが、この選挙では二人とも譲らずに立候補し、たもとを分かった。野党党首時代の金泳三氏が与党に接近すると、金大中氏は野合などと批判。金大中政権下では金泳三氏の息子が脱税容疑で逮捕され、関係はさらに悪化した。
 対立は二〇〇九年、病床の金大中氏を金泳三氏が見舞うまで続いた。聯合ニュースは、金泳三氏の死を「二つの巨木が歴史の裏道に消えた」と表現した。
 二人と同じ名字で、同時代の大統領候補として「三金」と呼ばれた金鍾泌(キムジョンピル)元首相は二十二日、ソウル大学病院の葬儀場を訪れ「金泳三氏が『信念のままに動けば、誰も信念を曲げることはできず、民主化が起きる』と言っていたのを思い出す」と回顧した。
 対日関係では「歴史の立て直し」の一環として、旧朝鮮総督府庁舎を撤去するなど歴史問題で強硬姿勢を見せた金泳三氏。だが、私的には日本人との交友を好み、九三年には当時の細川護熙首相と首脳会談を行い、民間レベルの政策協議「日韓フォーラム」を設置した実績もある。


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