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新・大中華世界的話題

666チバQ:2015/11/23(月) 11:22:00
未熟な経済政策が金融危機への導火線に

実際に、任期中の経済成長率は1995年の9.57%をピークに平均で7%後半と相対的に高い成長を実現した。とはいえ、その高成長率に惑わされ、経済構造には政策の不備による副作用が蝕みつつあった。開発独裁と言われた国家主導の経済政策を変えようとすれば、政府主導から民間主導への過渡期に必要とされる十分な補完措置が少なかった。

特に、よかれと考え実施した金融機関からの借り入れ規制緩和は、財務の健全性が当時から低かった韓国企業の借り入れを急激に増やし、一方で政府は金融の監督・管理機能を失うことになった。当時、韓国の主要企業の債務が資本の4倍以上に達していたほどだ。これが1997年のIMF危機の導火線となったとも言える。

OECD加入も、「早すぎた加盟」と言われた。「世界化」を打ち出し、国家競争力の向上を狙ったものの、OECDへの加盟以外には具体策はほとんどなかった。しかも、OECDに加盟するということは、国内市場の開放といった大幅な経済自由化と対外開放が伴うことを意味する。だからこそ、金融体制を外資からも耐えうるように整備し、また企業経営などの透明性向上など国際基準に耐えうるような政策も同時並行しなければならなかったが、それがなかった。

企業経営やグローバル金融制度など、急変する時代的変化を見極めきれなかった時代に、その目配せが十分でなかったのが惜しまれる。世界化を叫び、規制緩和という美名を掲げる一方で、金融機関の監督や国家の外貨管理を疎かにした。大統領だけでなく、企業など民間も外形の成長重視ばかり頭にあり、健全性という概念が頭になかった。また「大馬不死」、すなわち企業も組織も大きすぎれば逆につぶれないという意識も根強かった。

「金泳三政権には経済もショーマンシップの対象となり、政治的なパフォーマンスの効果が優先だった」と高麗大学名誉教授で労働相を務めた金浩鎮氏は自著『韓国歴代大統領とリーダーシップ』で述べている。そのため、思う通りに行かない経済政策よりは、民主化の深化・軍部の政治からの一掃という得意の政治力が生かせる問題にばかりに成果が偏ってしまった。その成果は部分最適ではあったが、大韓民国という国家全体からすれば、バランスを欠いたものになった。

バランスを欠いた国家運営

韓国経済がIMFの管理体制に入った直後の1997年12月、金泳三氏は国民に向けて謝罪を表明した。「私は、不渡りを出した企業家と職場を失った家長が感じる絶望感を思いながら、毎日自分自身に鞭を打っています。国民の皆様の痛みはすなわち私の痛みです」。この時の韓国の外貨保有高は、政権発足時の約500億ドルからわずか39億ドルとなっていた。

同月の大統領選挙では、最大野党の党首で長年のライバルである金大中氏が当選、初の政権交代が実現した。「国家の金庫が空っぽ」の状態からIMFとの経済運営を迫られた金大中氏の経済政策は、強力な構造改革を各方面に強いた。そのため、IMFからの借入金は2001年に完済していち早くIMF体制から抜け出すなど危機状態からの脱出は果たせた。

しかし、その新自由主義的な改革は韓国経済に新たなひずみをもたらし、所得格差の拡大や家計負債の増大、若年層の失業など特に国民に生じた。20年近く経った今、この時のひずみは現在でも韓国経済・社会を苦しめている。


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