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新・大中華世界的話題
132
:
とはずがたり
:2015/09/08(火) 05:56:07
>>131-132
彼は学歴、地縁、財力が物をいう韓国社会のカウンターバリューの象徴だった。だから庶民は彼を、韓国社会を変えてくれる「救世主」だと信じた。
だが、ノちゃんは期待を裏切り続けた。性急な改革案は保守・資本側の大連合を生み、イラク派兵やFTA交渉などの現実路線は支持者離れを促した。さらにマスコミとの関係悪化もあって彼の人気は凋落し、「進歩派無能論」が勢いを増した。そこで、人々は彼に責任をなすりつけ始めた。「あいつは救世主なんかではなかった、単なるバカだった」
その後は、バッシングの嵐が吹いた。悪いことの責任はすべて盧武鉉に向けられ、「盧武鉉のせいだ」は流行語になった。サッカー韓国代表が負けても、イ・スンヨプが三振しても、キム・ヨナがフリーで転んでも、すべて「盧武鉉のせいだ」と叩かれた。
人々は、アンチ盧武鉉の大合唱に乗ってしまった。しかし今、彼らは盧武鉉の非業の死に少なからず罪悪感を覚えている。ある中年女性は、彼に投票したことを隠してきたのが申し訳ないと号泣した。まるで、「イエス(キリスト)」を裏切った後、それを悔い改める弟子達のように、人々は「バカ盧武鉉」の「復活」に心を動かされている。
■盧武鉉は愛と正義と罪悪感の象徴
ある意味でバカ盧武鉉は、人々の心の奥底にかすかに残っている良心、正義、勇気、そして愛の象徴だった。盧武鉉の死は、その「心の風」を呼び起こした。人々は、彼を見捨てた罪悪感とともに、権力に迎合して生きる自分のあり方を恥じる。そして、そういう生き方を強要している権力構造に怒りの矛先を向け始めている。
大統領としての盧武鉉を美化することは間違っている。だが、人々に感動と覚醒と勇気を与えた「バカ盧武鉉」の復活は、同じ市民として注目していいのではないだろか。
保守派は金大中・盧武鉉政権期を「失われた10年」と呼んだが、実際はこの10年間に韓国のソフトパワーは飛躍的に増大した。人々はようやくこの10年が、元死刑囚や高卒が大統領になり、その大統領をバカと呼べる、幸せな時代だったことに気づいたのだ。
国民葬の葬儀委員長で、盧武鉉政権下で韓国史上初の女性総理になった韓明叔(ハン・ミョンスク)の弔辞がすべてを物語っている。「大統領、ごめんなさい。愛しています。そして、幸せでした。」
さて、麻生総理によれば総選挙もそう遠くないらしい。願わくば、日本でもその人が死んだ時に心から「ごめんなさい」といえる、そんな指導者の顔をみてみたいものだ。
コン・ヨンソク
1970年、ソウル生まれ。一橋大学准教授(国際関係史)。日韓のポップカルチャーにも詳しく、大学で「サッカーの国際政治学」を講義するのが夢。
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