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新・大中華世界的話題
1235
:
chibaQ@Korea
:2019/10/06(日) 09:02:48
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191006-00000009-jij-cn
岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史
10/6(日) 7:08配信時事通信
岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史
岸信介元首相
中華人民共和国が成立して70年。
日中関係を振り返った際、共産党政権にとって譲れない大きな原則が「歴史」とともに「台湾」問題だ。中国は自民党親台湾派の大物を取り込み、日中関係などを有利に進める政界工作を展開した。紹介するのは親台派の重鎮だった岸信介元首相と金丸信元自民党副総裁をめぐる「秘史」だ。
◇台湾側に仲介依頼
「岸信介元首相が訪中できないか、つないでほしい」。野田毅衆院議員(日中協会会長)は1970年代末か80年初めごろ、中国で対日政策を主導した廖承志中日友好会長(当時)からこう要請された。親台派大物への訪中打診は異例だ。野田は岸に面会し、中国の意向を伝えた。岸は「検討する」と応じたが、代わりに訪中したのは、岸ら戦後首相の黒幕とされ、「昭和の怪物」と呼ばれた矢次一夫(国策研究会代表常任理事)。80年5月、北京でトウ小平副首相、華国鋒首相らが会談に応じる「国賓級」のもてなしを受けた。
当時の台湾総統・蒋経国らにパイプを持った矢次を厚遇したのはなぜか。矢次らの訪中記録「北京会談」によると、台湾の平和統一を打ち出したトウ小平は会談で「私たちが生きている間にこの問題(台湾統一問題)を解決したいという希望をお伝えしていただきたいと思う」と、台湾側への仲介を依頼した。
野田は「台湾問題を何とかしたい、台湾への影響力は自分たちより岸さんの方が強い。岸さんは(東京裁判の)A級戦犯であったが、中国は『岸けしからん』とは言わなかった」と解説した。
◇東京佐川社長の暗躍
中国が90年前後に取り込もうと躍起になったのが自民党竹下派会長として絶大な権力を持った金丸信だ。東京の中国大使館幹部は、金丸が自民党幹事長になった84年ごろ、「いつまでも台湾ばかり向いていないで北京にいらしたらどうですか」と直接訪中を要請。金丸は「行きたい」と応じたが、親台派大物議員の反対で実現しなかった。
その後、金丸は90年8月末に初訪中したが、金丸に5億円のヤミ献金を贈るなど「政商」として知られた東京佐川急便の渡辺広康社長(当時、商法の特別背任罪で懲役7年確定)側が、中日友好協会の孫平化会長(当時)と金丸の間で「暗躍」した事実はあまり知られていない。
孫の回想録「中日友好随想録」(2009年)によると、東京佐川急便常務が率いる訪中団が90年7月、北京で孫と会見し、渡辺と金丸が非常に近い関係にあると前置きした上で、金丸は、北朝鮮に抑留されている第18富士山丸乗組員の釈放に向け北朝鮮訪問を検討中だと告げた。訪朝が無駄足になることを心配する金丸はまず訪中し、中国側の協力で北朝鮮側の内情を把握した上で訪朝すべきかを決めたいと伝えた。孫は断ったが、金丸は訪中翌月に訪朝し、釈放の道筋を付けた。
これに先立つ90年5月、渡辺は当時国交のなかった中韓両国の「口利き」も行っていた。韓国の盧泰愚大統領は同年9月の北京アジア大会開会式への出席と、中韓関係の発展を希望。金丸が韓国政府側に、渡辺が中国と密接な関係にあると紹介したことを受け、大統領側近が渡辺をソウルに呼び、中国が大統領を招待できるかどうか探ってほしいと依頼した。続いて渡辺は孫に韓国の意向を伝達した。中国側は「(盧訪中は)不都合だ」と判断したが、北朝鮮に配慮したものだ。
佐川急便側は当時、中古トラックを中国に無償寄贈する交流事業を展開。孫は当時の日本政界に「金丸総書記、竹下(登)大統領、海部(俊樹)総理」がいるとの見方を回想録に記しており、金丸につながる渡辺とのパイプを重視した。渡辺らが間に入り、金丸と中国側はもたれ合う関係になったが、こうした実態について当時の複数の日本外務省幹部は「全く知らない話だ」と述べた。
中国から親台派と見られた金丸は、中国側が強く求めた92年の天皇訪中実現に向け決定的役割を果たす。宮沢喜一首相(当時)は、自民党内の反対が強く決断できずにいた。自民党有力者への説得を続けた橋本恕駐中国大使が、自民党副総裁の金丸に状況を説明したところ、金丸は宮沢に電話し、「ごちゃごちゃ言わず早く決めたまえ」と一喝。これで決着し、宮沢は8月25日に天皇訪中を発表した。
しかし金丸はその2日後の27日に副総裁を辞任。渡辺からの5億円献金が報道され、事実を認め、政治生命も終わった。翌年3月には巨額脱税容疑で逮捕された(敬称略)。
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