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新・大中華世界的話題

1210チバQ:2019/09/30(月) 15:23:12
https://digital.asahi.com/articles/ASM9W5WY1M9WUHBI035.html?rm=402
若者はなぜ顔を隠すのか 香港「雨傘」が引き継いだもの
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香港=宮嶋加菜子、竹花徹朗、益満雄一郎 2019年9月30日13時00分
 香港の学生らが選挙制度の民主化を要求した2014年の大規模デモ「雨傘運動」が始まって、5年が過ぎた。要求は退けられ、運動は挫折したが、香港政治の大きな転換点となった。その影響は、今春から続く抗議デモに加わる若者らに色濃く残っている。

 香港島中心部で28日に開かれた集会には、数万人とみられる市民が参加。元学生リーダーの黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏は壇上で「香港の問題を国際社会に訴えて戦い続ける」と語った。

 「すべては5年前の雨傘運動が始まりだった」

 雨傘運動に参加し、今年の一連の抗議デモにも加わる香港の大学生のニッキーさん(23)はそう語る。「この5年、僕たちの世代の香港社会への失望は深まり続けている」

 香港が英国から中国に返還される1年前の1996年に生まれた。2008年の北京五輪では、テレビで中国の選手を応援し、金メダルをとると大喜びした。「強い中国を見るのが単純にうれしかった」

 ログイン前の続き14年9月、雨傘運動が始まった時は、大学の医学部に入学したばかり。学生たちが占拠していた大通りに足を運び、一緒に歌った。民主化を求める市民の声に政府は催涙弾で応え、学生のリーダーたちは収監された。「これが一国二制度の現実なのかと、それまでの幻想から目が覚めた」

 この5年間に、中国共産党に批判的な本を扱っていた書店関係者が失踪し、中国を非難する外国人の入境拒否が相次いだ。中国政府の香港社会への統制は強まるばかりだ。

 さらに、中国本土からの観光客が増える中、中国との関係がそのまま香港経済に直結する。香港から自由に加えて経済的な存在意義まで失われたら、何が残るのか。「5年前の雨傘運動から深まる絶望感が、今の終わりの見えないデモの原動力になっている」

「勇武派」と共存
 今回のデモで目立つのは黒い服を着て、顔をゴーグルやガスマスクなどで覆い隠す若者たちだ。警察に火炎瓶を投げつけるなど過激な行為から「勇武派」と呼ばれている。非暴力を掲げ、警察の催涙スプレーに雨傘を広げて耐えた雨傘運動とは大きく異なる。

 8月末のデモに参加したエリカさん(18)は大学の友人2人と参加。3人ともサンバイザーを深くかぶり、顔を隠した。「拘束されれば退学処分を受けるかもしれないが、真の民主主義を勝ち取るため戦う」と訴えた。

 同じデモ隊にいた20歳代だという会社員の男性はTシャツを顔に巻き付けて参加した。「デモに参加していることが会社にばれたら、辞めさせられるかもしれない」と漏らす。

 警察は雨傘運動に関連して約1千人を拘束。参加者の多くは素顔をさらし、警察は特定が容易だった。拘束された参加者は失業するなどの代償を払った。また、雨傘運動では政府との対話路線をとった学生リーダーと、実力行使も辞さない過激な勢力の対立が深刻化し、運動は挫折した。

 だが、今回は穏健なデモ参加者と勇武派の間に雨傘運動のような激しい対立は見られない。香港バプテスト大学の鄭●(火へんに韋)・副教授は「雨傘運動の失敗を教訓に、手法が違ったとしても同じ目標に向けて努力するという意識が広がっている」と指摘する。(香港=宮嶋加菜子、竹花徹朗、益満雄一郎)

     ◇

<雨傘運動> 香港で2014年9月28日から79日間続いた大規模デモ。17年の香港政府の行政長官選挙で、中国側が事実上、民主派の候補者を排除する仕組みを決定したことに反発した学生らが、市中心部3カ所で道路を占拠して民主化を要求。だが中国側から譲歩を得られずに終結した。


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