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新・鉄道綜合スレ
749
:
チバQ
:2016/07/31(日) 20:36:11
廃止後も計画再開に「含み」
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油壺駅の旧予定地付近。周囲は雑木林に囲まれていて、駅が整備される予定だったとは思えないような光景だ
しかし、その後も計画の進展は見られず、京急も空港線の羽田空港乗り入れプロジェクトなどへの対応に追われ、油壺延伸は忘れられたような存在になっていく。そして2005年10月、京急は三崎口〜油壺間の事業廃止を国土交通大臣に届け出て、同年12月24日付で廃止された。
こうして鉄道法規上は幻に終わった三崎口〜油壺間だが、当時の京急は「鉄道事業法の改正で事業許可の再申請が容易になったので、いったん計画を取り下げる。沿線の土地区画整理事業などの進展を見ながら再申請する」などとし、将来の計画再開に「含み」を持たせた。
だが、鉄道事業の廃止から10年が経過しても、再開に向けた動きは一向に見られなかった。そして今年3月、京急は久里浜線の延伸事業と、沿線の大規模宅地開発事業の凍結を取締役会で決めた。これを受けて、棚卸資産の評価損など約150億円を売上原価、減損損失約30億円を特別損失として計上することになり、前2015年度の連結決算が最終赤字になったのだ。
京急は、「三浦半島の人口減少や地価下落」を理由に凍結を決めたと発表したが、国勢調査によると、三浦市の人口は20年以上前の1995年をピークに減少が続いており、人口減少は今に始まったことではない。なぜ、ここにきて凍結を決定したのかという疑問は残る。
背景の一つとして考えられるのが、近年の好調な経営実績だ。過去10年間の連結決算を見てみると、純利益は過去最高となった2008年度(134億800万円)をピークに減少が続き、東日本大震災の影響が大きかった2011年度には41億1900万円まで落ち込んだが、その後は回復基調となり、2014年度は107億7500万円まで持ち直している。
2015年度も、訪日外国人客の増加により空港線の利用者が増えるなどして好調に推移し、2015年11月に発表した業績予想では、純利益が過去最高益の2008年度に迫る130億円としていた。そこで、経営が好調な今のうちに、再開のめどが立たない延伸計画を「整理」しておこうとの意識が働いたのではないだろうか。
50年前にも「含み」持たせて廃止
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横須賀市と三浦市林地区を結ぶ神奈川県道26号の金子トンネル(左)と新金子トンネル(右)。どちらか一方のトンネルが武山線用のトンネルを転用したものといわれている
ちなみに、三浦半島には久里浜線の延伸計画のほかにも、幻に終わった京急の鉄道路線が多い。半島西岸の林地区から東に進み、JR横須賀線の衣笠駅付近までを結ぶ計画だった武山線も、その一つだ。
武山線は東急時代の1944年12月、地方鉄道免許を受けて着工。久里浜線と同様、軍事色の強い路線で、林地区にある海軍施設への通勤輸送などを目的としていた。しかし、路盤が一部完成したところで終戦の日を迎え、工事は中断。戦後は京急が計画を引き継いだものの、結局は1966年2月1日付で事業廃止が許可された。
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武山線の廃止許可申請書(国立公文書館所蔵)。計画再開の含みを持たせたようなことが記されているが、実際に再開されることはなかった
国立公文書館が所蔵している武山線の廃止許可申請書(1965年12月25日)で京急が主張しているところによると、終戦後は既設線の戦災復旧に忙殺され、工事を再開する余裕がなかったという。
復旧が一段落した1955年以降も品川〜泉岳寺間の都心乗入線や久里浜線延伸の工事に全力を注いでおり、「工事再開の見通しがつきませんので、はなはだ遺憾に存じますが、一応起業を廃止しようとするものです」としている。
さらに、申請書で京急は以下のように続けている。
なお、本区間沿線は、最近の住宅事情を反映し、新住宅地が伸展してきておりますので、前記諸路線の竣工後は直ちに本区間の建設を再計画したい念願でありますので、免許再申請の際はなにとぞ従来の経緯をご斟酌のうえ、格別のご配慮を賜りますようお願い申しあげます。
京急は50年前に武山線の事業廃止を申請したときも、計画再開の「含み」を持たせていたのだ。そして結局、再開されることなく幻の鉄路と化している。まさに「歴史は繰り返す」といったところだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)
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