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新・鉄道綜合スレ
5155
:
OS5
:2025/09/13(土) 09:17:14
閑散としていた新幹線との乗り換え駅
北海道新幹線には、本州最北端の新幹線駅として「奥津軽いまべつ」駅がある。この駅ができる前は、青函トンネルへとつづくJR北海道の路線として津軽海峡線の「津軽今別駅」があった。この駅と隣接するように、津軽線の駅「津軽二股駅」がある。この二つの駅は、同じ場所にありながら、異なる駅名を名乗っていた。
駅の開業は、国鉄(現JR東日本)の津軽二股駅が1968(昭和33)年であり、1988(昭和63)年に津軽海峡線(青函トンネル)の開業とともに津軽今別駅が誕生した。同じ場所にありながら、異なる駅名を名乗った理由は、海峡線が計画された当初は駅ではなく「新津軽二股信号場」としていたものを、地元からの要望により”駅”を造ることになり、その際の陳情により駅名を「津軽今別駅」としたため、先に開業していた津軽二股駅とは異なる駅名となったのだ。北海道新幹線の開業後も、それぞれに独立した駅のままであり、列車の時刻も相互に接続を取るようなダイヤにはなっていない。よって乗り換え案内が行われることもなく、それゆえに異なる二つの駅が存在することを、知らない人も多いのではなかろうか。
一日に停車する列車の運行本数は、新幹線が上下線合わせて14本で、津軽線の津軽二股駅も上下線合わせて10本しかなかった(運転見合わせ前)。目的もないままに一度駅を降りてしまうと、津軽二股駅前には「道の駅いまべつ半島プラザ・アスクル」があるだけで、ほかにこれといって何もなく、次の列車まで何時間も待ちぼうけとなるのは必至であった。
新幹線開業直後は、駅前から津軽鉄道の津軽中里駅(青森県中泊町)へと向かうバスが運行されていたが、現在は廃止となっており、事前予約制の乗合タクシーが運行されるのみである。駅前の「道の駅」も、北海道新幹線が開業する前は、現在のような飲食店や土産物店を併設する店構えではなかった。
津軽今別駅の遺構
北海道新幹線の開業に伴い、津軽線との接続駅であった海峡線の津軽今別駅は、2015(平成27)年8月10日から全列車が通過扱いとなり、2016(平成28)年3月25日限りで廃止された。その後しばらくは、津軽二股駅から津軽今別駅へと続くシェルター(階段通路)だけが「旧駅遺構」のように残されていたが、現在は姿を消している。しいていえば、駅構内の片隅に海峡線開業時から存在する津軽二股保線基地があり、そこには保守用車(モーターカー等)の車庫が現存するなど、当時の面影がわずかに残されるにとどまる。
この保線基地の隣接地には、新たに北海道新幹線用の保守基地が建設され、周辺は一変している。これらの敷地の外れには、北海道新幹線が開業するまで「防災代用車両」なる客車が留め置かれていた。そんなことを思い出した方も、おられるのではないだろうか。
5156
:
OS5
:2025/09/13(土) 09:17:34
JR津軽線の今
現在、津軽線として旅客営業を行っているのは「青森駅〜蟹田駅間」のみで、蟹田駅〜三厩駅間は代行バスによる代替輸送が行われている。青森駅〜蟹田駅間を走る列車は、過去には気動車(ディーゼルカー)で運転するものもあったが、今はすべて電車になっている。北海道へと渡る貨物列車は、蟹田駅からそのまま新中小国信号場まで進み、そこから北海道新幹線(海峡線)へと乗り入れて青函トンネルを通り、函館(五稜郭)へと向かう。
大雨災害前の津軽線は、青森駅から新中小国信号場まで進み、そこで海峡線と分岐して津軽線の線路はそのまま直進して、三厩駅へと向かっていた。津軽線の新中小国信号場から三厩駅までは、架線のない非電化区間であり、その風光明媚な景色のなかを、のどかに国鉄型の気動車が走る姿はローカル線ムード満点の世界観だった。
「廃線」が確実なものとなってしまった蟹田駅〜三厩駅間。ここに、二度と列車が走ることがないと思うと、鈍く光るレールがなんだか寂し気に思えてならない。それは、“鉄分”過多ゆえの性分だからであろうか。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。
工藤直通
5157
:
OS5
:2025/09/14(日) 09:56:23
https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/024b85364672d9f34c6b6a120aeedfcaa556edc2/?mode=top
副都心線が最後だったのに…ダメ押しの新線「東京メトロ豊住線」なぜ実現? やっぱり「押上から先」は夢のワケ
2025.09.14 07:14
掲載
2025.09.14 09:21
更新
構想「半世紀以上」の8号線分岐線
2030年代半ばの開業に向けて、東京メトロ有楽町線の豊洲〜住吉間の延伸工事が進んでいます。この区間は、同社の公式発表では「有楽町線(豊洲・住吉間)」、帝都高速度交通営団(当時)内部の呼称は「北上線」、一般には豊洲と住吉を結ぶことから「豊住線」と呼ばれることもあります。ややこしいですが、ここでは元々の計画を「8号線分岐線」、今回の整備区間は「(有楽町線)豊洲〜住吉間」と区別することにしましょう。
【新線構想】「豊洲〜住吉」と「押上から先」の計画ルートを見る(画像)
東京メトロは現在、豊洲〜住吉間と並行して南北線白金高輪〜品川間の延伸工事も進めていますが、こちらは2016(平成28)年の交通政策審議会第198号が初出の新しい計画なのに対し、8号線分岐線は1972(昭和47)年に登場した半世紀以上の歴史ある構想です。
東京の地下鉄整備は関東大震災後の1925(大正14)年に策定された、1〜5号線の計画から始まります。1960年代に入ると5路線の整備に目途がついたため、1962(昭和37)年の都市交通審議会答申第6号で6〜10号線、1968(昭和43)年の同答申10号で11号線(半蔵門線)、12号線(都営大江戸線の光が丘〜都庁前)が追加されました。
1〜12号線のほとんどは郊外と都心を直結する放射線でしたが、高度成長期に都心一極集中が問題化したため、1972(昭和47)年の同答申第15号は池袋・新宿・渋谷の副都心を結ぶ13号線(副都心線)や、山手線の内側を走る12号線環状部、そして豊洲〜押上〜四つ木〜亀有間を結ぶ8号線分岐線が追加されました。
住吉〜押上間は現在、半蔵門線として営業していますが、元々は8号線分岐線の経路です。交通営団は1982(昭和57)年に豊洲〜亀有間14.7kmの免許申請を行ったものの、免許されないまま迎えた1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号で、半蔵門線と住吉〜四つ木間を共有することが決定。こうして結局、半蔵門線水天宮前〜押上間の一部として2003(平成15)年に開業したのです。
このような経緯があり、有楽町線と半蔵門線には8号線分岐線の準備工事がなされています。豊洲駅の2番線・3番線(使用停止中)は住吉方面から有楽町線に合流するための線路であり、2段構造の住吉駅は豊洲方面から半蔵門線に合流できる構造です(現在は車両留置線として使用)。
準備工事が行われた駅がもう一つ
もう一つ、準備工事が行われた駅が押上です。曳舟方ホーム端に立つと、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)と直通する1番線・4番線だけでなく、折り返し用の2番線・3番線のトンネルも奥に続いていることが分かります。これは前述の通り、押上から8号線分岐線は亀有まで、半蔵門線は松戸まで延伸する計画があるからです。
押上以北の延伸は2016(平成28)年の交通政策審議会答申第198号において、「東京8号線の延伸(押上〜野田市)」「東京11号線の延伸(押上〜四ツ木〜松戸)」として「整備について検討すべき路線」に位置付けられており、現役の計画です。
しかし実現には大きなハードルがあります。
そもそも副都心線で打ち止めのはずだった東京メトロの地下鉄建設が「延長戦」に突入したのは、東京都が保有する東京メトロ株式の売却(上場)のバーターとして、豊洲〜住吉間の整備主体になることを呑ませたからです。
東京メトロは豊洲〜住吉間を除く8号線分岐線について、「輸送需要予測の減少等、免許申請時とは事業環境が異なってきたことから、当社としては、整備主体となることは極めて困難」との認識を示しています。
第3セクターなど他事業者が整備主体となり、東京メトロが協力する可能性は否定していないものの、莫大な建設費を負担できる整備主体はなかなか見つからないでしょう。
東京8号線押上〜野田市延伸をめぐっては、埼玉県・千葉県の沿線自治体が八潮〜野田市間の先行整備を要望していますが、こちらは八潮からつくばエクスプレスへの直通運転を目指しています。実現したとしても、地下鉄とは性質の異なる路線になりそうです。(枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家))
5158
:
OS5
:2025/09/15(月) 19:47:18
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a52e68cec341f0888d84e07b8eddb5cd3f219df
「単独維持が困難」レベル下回るJR紀勢線、特急「くろしお」増便の狙い…無料駐車場やポイント還元も
9/15(月) 13:15配信
読売新聞オンライン
JR紀勢線の利用促進策を発表する関係者(和歌山市で)
乗客数が少ないJR紀勢線の新宮―白浜間について、JR西日本や県、沿線自治体などで作る「紀勢本線活性化促進協議会」の新宮白浜区間部会が利用促進策を発表した。11月〜来年3月の平日に特急「くろしお」を増便することに加え、特急利用者が駅前駐車場を無料で使えたり、ポイントで運賃の一部を還元したりすることなどで効果を探る。(丹下巨樹)
JR西によると、同区間の営業赤字は2021〜23年度平均で約29億円。1日の1キロ・メートルあたりの平均利用者数(輸送密度)は731〜935人にとどまった。24年度は960人と微増したが、「単独での維持が困難な水準」とされる2000人より大幅に少ない。
このため同部会は、特に利用者が多い特急に狙いを絞り、輸送密度を高める促進策を発表。1日あたりの乗客を数値目標化し、26年度には紀伊勝浦駅での乗車を450人(23年度185人)、串本駅は210人(同66人)などと掲げ、区間内の特急乗車数を1040人(同410人)に増やしたい考えだ。
具体的には、同区間で現在は月〜木曜に1日5往復している特急「くろしお」を、11月4日〜来年3月31日は1往復増やし、金〜日曜や祝日と同じ6往復とする。利用者は新宮、白浜両駅前の駐車場料金(最大700円)を無料にする。
また11月4日〜12月31日は、交通系ICカード「ICOCA(イコカ)」で新宮―白浜間の特急停車駅で乗車し、同区間を利用した人には、普通運賃の10%をポイントで還元する。問い合わせは同部会事務局(0735・23・3339)。
60周年記念で特別デザイン運行
特急「くろしお」の運行60周年を記念し、JR西は特別な塗装を施した列車の運行を8月30日から始めた。
くろしおは1965年3月に天王寺―名古屋間で運行開始。89年に現在の京都・新大阪―新宮間を結ぶようになった。
今回は第2弾の企画。78年〜2015年に運行していた車体をモデルに、当時のヘッドマークやオーシャングリーンを基調にした波をデザインした1編成を新大阪―新宮間で運行する。28年11月頃まで続ける予定という。また、第1弾で塗装した、赤や黄のラインが入った車体も来年2月末まで運行を続ける。
5159
:
OS5
:2025/09/15(月) 22:44:07
https://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/news/20250903-OYTNT50318/
LRT西側延伸、28年内先行着工へ…宇都宮駅東口から地裁前までの約2・5キロ
2025/09/04 05:00
LRT「ライトライン」のJR宇都宮駅西側延伸を巡り、宇都宮市の佐藤栄一市長は3日の市議会9月定例会で、同駅東口から宇都宮地裁前までの約2・5キロ・メートルの区間を2028年内に先行して着工する方針を明らかにした。地裁以西の区間で用地買収に時間がかかることなどから、区間を分けて、着工することにした。(坂本諒太)
LRTが整備される宇都宮地裁前の大通り(3日、宇都宮市で)
自民党議員会の篠崎圭一議員の質問に答えた。
西側ルートは、同駅東口から県教育会館前(同市駒生)までの約5キロ・メートル。市は28年内に着工する方針を示している。地裁以東では大通りの拡幅を行わず、用地取得が必要ないことから、先行して工事を始めることにした。
一方、地裁以西では今年6月以降、延伸ルートの道路幅などを決定する過程で、用地取得が必要な物件や、電線、ガス管などの地下埋設物の量が、従来の想定よりも多くなることが判明。取得交渉や移設工事にかかる期間が想定よりも長引く見通しとなっており、地裁以東の着工と同時期に、道路拡幅のための用地取得を進める。
佐藤市長は昨年の市長選で公約に掲げた「30年運行開始」を撤回した。この日の答弁でも、「大変申し訳ない」と改めて陳謝した。その上で、「目標に掲げた時点では、基本的には道路拡幅を伴わない整備を想定しており、実現可能であると見込んでいた」と釈明した。
延伸には、事業内容や費用、整備効果などを記した「軌道運送高度化実施計画」を国土交通省に提出し、認定を受け、軌道事業の特許を取得する必要がある。市は申請を10月に行う方針だ。佐藤市長は「開業時期は現在精査を進めている。計画の中で示す」と述べた。
23年8月に開業した宇都宮駅東口と芳賀町を結ぶ東側ルートでは、16年9月に軌道事業の特許を取得し、18年6月に着工した。その後、用地取得の難航などによって、2回にわたり開業を延期した経緯がある。
5160
:
OS5
:2025/09/15(月) 22:46:22
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/1183603
LRT西側延伸、用地取得必要ない「宇都宮駅東口」-「裁判所前」から着工へ 東口から高架でJR線横断
9/3 19:35
次世代型路面電車(LRT)のJR宇都宮駅西側延伸事業を巡り、佐藤栄一(さとうえいいち)市長は3日の市議会一般質問で、計画する整備区間のうち、用地取得を必要としない「宇都宮駅東口」-「裁判所前」停留場の区間から工事に着手する方針を明らかにした。駅の東口から高架でJR線を横断して西口へ延伸し、東西を結ぶ全線開業を目指す。市は2028年内に着工する方針を打ち出しており、具体的な開業時期は、10月中に国へ申請予定の軌道運送高度化実施計画の中で示すとした。
西側延伸事業の区間は、駅東側の停留場「宇都宮駅東口」から西側の「教育会館前」までの4・9キロ。
5161
:
OS5
:2025/09/17(水) 17:17:22
https://news.yahoo.co.jp/articles/fca83f7340fa77885cf69cb77c5075fcbd5b6118
JR九州の観光列車が本州初上陸…青や緑の鮮やかな色をまとう、「ぜひ乗りに来て」
9/17(水) 13:45配信
読売新聞オンライン
広島駅2番ホームに入った「かわせみ やませみ」(広島市南区で)
JR西日本は、熊本県への誘客キャンペーンの一環で、同県内を走るJR九州の観光特急「かわせみ やませみ」の車両を、広島駅(広島市南区)で報道関係者らに特別公開した。「かわせみ――」の車両が本州に入るのは初めて。
車両は、芸備線でも走っている旧国鉄型ディーゼルカー「キハ47系」を改造した2両編成。列車名は、同県を流れる球磨(くま)川の渓流を飛び交うカワセミとヤマセミに由来。1号車は青、2号車が緑の鮮やかな色をまとう。
球磨地方の森をイメージした車内は、しつらえに地元産のヒノキや杉、イ草をふんだんに使い、懐かしさや温かさを醸し出す。現在、豊肥線など同県内を中心に運行している。
今回、JRグループが2026年7〜9月に展開する観光客誘致の「熊本デスティネーションキャンペーン」をPRする取り組みで、熊本―広島間で「かわせみ――」を走らせるツアーを開催。14日に広島駅2番ホームで車両を公開した。
担当するJR九州鉄道事業本部営業課の服部正典さん(39)は「車両は外装、内装とも球磨地域の特色を採り入れた。九州には各地の魅力を詰め込んだ列車が走っているので、ぜひ乗りに来てほしい」と話していた。「かわせみ――」は18〜23日、京都鉄道博物館(京都市下京区)で特別展示される。
5162
:
OS5
:2025/09/17(水) 17:25:59
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbb7fe0d53c572de37a218fa5b1f33c8d53e197b
リニア品川-名古屋間の全駅着工へ、山梨県駅の工事契約締結 静岡工区以外の整備着々と
9/17(水) 15:39配信
29
コメント29件
産経新聞
走行試験を行うリニア中央新幹線の試験車=山梨県笛吹市(渡辺浩撮影)
JR東海は17日、リニア中央新幹線の山梨県駅(甲府市、中央市)の建設工事契約を結んだと発表した。今年度内の着工を目指し、工期は2031年の12月10日まで。これで品川-名古屋間全駅での着工が実現する。静岡県が工事を認めず計画の遅れの主因になっている静岡工区でも、同県とJR東海の協議は着々と進んでおり、「27年以降」としている開業目標時期の具体化が待たれる。
JR東海によると、契約締結日は17日。今後は着工に向け、詳細な計画作成や地元住民への説明などを進める方針。JR東海関係者は「全ての駅で着工にめどがついた。一日も早く開業にこぎつけたい」と話す。
リニアを巡っては、品川-大阪間のうち先行開業を目指す品川-名古屋間(総延長約286キロ)で、沿線の神奈川、山梨、長野、岐阜の各県に駅を設置する計画だ。品川-名古屋間の用地取得率は既に9割近くに達しており、工事で生じる残土も全体量の約8割が受け入れ先が決まっている。
しかし、水資源や南アルプスの生態系などへの影響を懸念する静岡県が、県内工区(8・9キロ)の着工を認めておらず、計画全体の遅れにつながっている。JR東海は当初の目標だった27年開業を取り下げ、現在は時期を明示していない。
それでも静岡県側は、徹底抗戦を続けていた川勝平太前知事から現職の鈴木康友知事に交代後は軟化の姿勢を見せており、最も懸念していた水資源問題に関してはJR東海が提案した対策を了承し、議論が終了。生態系など残っている論点の協議が進んでいる。
また、川勝氏がかたくなに拒否してきた工事現場付近の資材置き場(ヤード)の整備も、現時点で環境調査に向けた拠点づくりという目的にかぎり、受け入れに前向きな姿勢を見せている。整地などが進めば工事目的のヤードに変更する際も、工期短縮につながる。
JR東海は静岡工区の着工から工事完了まで少なくとも10年かかるとみているが、それ以外の工事についてリソースを分散させつつ着実に進めておく考えだ。
5163
:
とはずがたり
:2025/09/17(水) 21:57:15
近鉄志摩線の改良の様子。結構改良したんだな〜
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/sima.html
5164
:
OS5
:2025/09/17(水) 22:27:46
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec03b54469cd80bdfccece82feeebcfe84edc916
リニア山梨県駅、完成時期明確化で部分開通待望論が強まる 実験線駅としての活用案など
9/17(水) 18:40配信
産経新聞
リニア中央新幹線山梨県駅の建設予定地=令和6年1月、甲府市(平尾孝撮影)
JR東海がリニア中央新幹線の山梨県駅(仮称)の建設工事契約を17日に結び、令和13(2031)12月に完成させる計画を示したことで、山梨県駅と品川駅などへの先行部分開通の待望論が強まることになりそうだ。現在の計画では、静岡工区の遅れで山梨県駅が完成しても全線開通できない期間が長期化することは必至なだけに、リニア効果による活性化を求める行政や経済界からも部分開通を求める声が強まりそうだ。
リニア中央新幹線の工事で、JR東海は静岡工区については着工から工事完了まで少なくとも10年かかるとみているが、現時点で静岡工区は着工に至っていない。そのため、最短でも開通は令和17(2035)年となり、甲府市と中央市にかかる山梨県駅は完成しても少なくとも4年は未開業駅となるほか、4年で済むとの保証もない。
山梨県の長崎幸太郎知事は従来から「全線開通が大前提だが、(品川・山梨県駅間の)部分開通は歓迎する」との姿勢を示している。同時に「JR東海がそういった経営判断ができるように環境を整える現実的な対応を考えたい」とも踏み込んだ発言をしていた。
それ以上に現実的な案を出しているのが、甲府商工会議所だ。リニア実験線を山梨県駅までの約8キロを早期につなげ、山梨県駅を実験線の駅として使うというものだ。現在、実験線は都留市の山梨実験センターだけで乗降する形態だ。これを都留の実験センターでも、山梨県駅でも乗降できるようにするというアイデアだ。リニア実験線自体が観光の目玉になると同時に、観光客の甲府盆地流入につなげるというものだ。
山梨県内では中央市などでリニアの橋脚や橋げたが完成に近づいており、リニア開通への期待は高まっている。しかし、静岡工区の遅れで、実現は少なくとも10年後となる中で、部分開業への模索は強まっていくことになりそうだ。(平尾孝)
5165
:
OS5
:2025/09/17(水) 22:44:47
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f49b111d5351b2ce00dcdef69748a33714cdf16
「小倉駅営業指導係」の辞令。待っていたのはキオスクの店員…元SL整備士が直面した国鉄民営化という名の現実
9/14(日) 21:00配信
南日本新聞
かつて整備した「キハ52」を眺める伊地知孝さん=7月、志布志市の志布志鉄道記念公園
鹿児島をはじめ全国でローカル線の存続が危ぶまれている。JR各社は区間別の収支や利用状況を公表し、将来の地域交通の在り方を巡り、地元と対話したい姿勢を強調する。近年、自然災害を機に存廃論議に発展するケースも珍しくない。国鉄から引き継がれてきたレールはどうなるのか。鉄路の現状や歩みを振り返る。(連載かごしま地域交通 第4部「きしむレール」④より)
【写真】志布志機関区時代に転車台があった場所を懐かしむ伊地知孝さん=7月、志布志市の志布志鉄道記念公園
「煙を上げて走り出した瞬間の感動は忘れられない」。JR志布志駅近く、鉄道記念公園に保存されている蒸気機関車(SL)C58。国鉄志布志機関区として整備場や転車台があった場所で伊地知孝さん(81)は語る。長年SLの整備を担当してきた。「安全に走らせるため必死だった」。作業中、先輩からスパナが飛んでくることもあった。
志布志駅は1925(大正14)年開業。国鉄志布志線、大隅線、日南線の結節点として大隅半島の発展を支えた。
「鉄道ほど正確で安全な乗り物はない。赤字だからとなぜ切ってしまったのか」。つぶやく伊地知さんが見つめる先にもう線路はない。
□■□
鹿児島の鉄道の歴史は1901(明治34)年、官鉄が鹿児島-国分(現隼人)に敷設したのが始まり。道路未整備の中、旅客や貨物を輸送するインフラとして定着し、鹿児島線や日豊線ができた。戦後、復員者受け入れで組織が巨大化する49年、公共企業体の国鉄が発足。復興の象徴である鉄道建設は国策として進められた。県内では日南、指宿枕崎線などが全線開通した。
東京オリンピック開催に沸く64年、伊地知さんは国鉄に入った。東海道新幹線が開通した年でもあり、鉄道は希望の光にあふれていた。
SLの車輪にブレーキをかける役割の「制輪子(せいりんし)」の整備が鉄道人生の原点だった。「数ミリの狂いが事故を生む」と神経を研ぎ澄まして15キロの鉄の塊と向き合った。自動化や電化が進む前の時代だけに、現在とは比較にならない数の人間が携わっていたという。
ただ既にそのころ、SLは時代遅れになりつつあった。石炭を動力とする効率の悪さや排煙による健康被害が挙げられた。国鉄は60年代、軽油で走るディーゼル車や架線から電力を供給する電車へ転換する「無煙化」へかじを切った。76年、SLは全廃された。
□■□
輸送効率が飛躍的に向上する一方、国鉄はボイラーへのまき入れなどを担う機関助士職を廃止。かつての鉄道マンは「余剰人員」と呼ばれるようになり、86年度までにピーク時から4割減の27万7000人まで合理化された。
同時期、車社会が到来し鹿児島でも国鉄離れが進んだ。国が発表した第2次廃止対象路線に県内は大隅、志布志、宮之城、山野の4路線が該当。関係者が惜しむ中、順次廃止され、87年、国鉄は分割民営化でJRへと名称を変えた。
国鉄からJRに採用されたのは20万1000人。JR九州では1万5000人の社員のうち3000人が“余剰”だった。伊地知さんは「小倉駅営業指導係」の辞令を受けた。待っていたのは売店キオスクの店員。多くの同僚が鉄道以外の仕事に割り振られたという。
廃止対象外だった日南線は他の路線と接続しない「盲腸線」となった。現在JR九州と沿線自治体は油津-志布志の在り方を巡り協議中だ。
「今のJRは利益重視で赤字路線を切ってしまう。これで鉄道会社と呼べるのか」と伊地知さん。「でも合理化しないと組織が存続できない。民間の会社になるとは、そういうことだ」
南日本新聞 | 鹿児島
5166
:
OS5
:2025/09/17(水) 22:47:04
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec7c6ea4e8337111f7c11b7c4604bfcedb0a5826
ローカル線に未来はあるか…JR九州社長が「盲腸線」と例えた指宿―枕崎線、切られる前にできることを地元は模索
9/15(月) 6:45配信
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南日本新聞
本土最南端の終着駅・枕崎駅。週末や連休中は観光客でにぎわう=8月12日、枕崎市
鹿児島をはじめ全国でローカル線の存続が危ぶまれている。JR各社は区間別の収支や利用状況を公表し、将来の地域交通の在り方を巡り、地元と対話したい姿勢を強調する。近年、自然災害を機に存廃論議に発展するケースも珍しくない。国鉄から引き継がれてきたレールはどうなるのか。鉄路の現状や歩みを振り返る。(連載かごしま地域交通 第4部「きしむレール」①より)
【写真】(別カット)本土最南端の終着駅・枕崎駅。週末や連休中は観光客でにぎわう=8月12日、枕崎市
「ローカル線が単なる地域の足としてだけでなく、まちづくりにも必要との共通認識を持てたのは非常に大きい」
鹿児島県や沿線自治体、JR九州でつくる「指宿枕崎線の指宿-枕崎間の在り方に関する検討会議」が発足して8月でちょうど1年。有識者として参加する呉工業高専(広島県呉市)の神田佑亮教授はこれまでの活動を総括する。
JR九州がこの区間を巡り協議を呼びかけたのは2023年11月。国が地方鉄道の存廃議論の目安を示して間もない頃だった。1キロ当たりの1日平均利用者数(輸送密度)が千人未満とされる中、指宿-枕崎の22年度は220人で、管内の千人未満の区間では3番目に低い数字だった。
定例会見という公の場で、利用の少ない路線を名指しして対応を求めたのは初めて。国主導で存廃を議論する「再構築協議会」ではないとはいえ、関係者を驚かせた。
古宮洋二社長は「建設的な議論が進められると考えた」と説明した。これまでともに利活用を進めてきた沿線の熱意を知っているのだろう。一方で「終点が他の路線と接続しない『盲腸線』だ」と指摘した。切りやすい状況であることも示唆した。
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検討会議は24年8月に任意の協議会として発足した。初会合で神田教授は「鉄道を活用して地域が稼ぎ、結果として足も確保するという視点があってもいい」と助言。存廃や運営の在り方を話し合うのではなく、まずは鉄道を生かした地域づくりを追求する方向性で一致した。
沿線の魅力を探るワークショップを開催。地元の商工関係者に加え、将来の担い手となる高校生も対象にした。25年度は観光客や駅周辺のにぎわいなど、鉄路が沿線にもたらす経済効果を可視化する調査に着手した。今後は具体的に稼げる活用策を実施・検証し、年度末までに活動指針をまとめる予定だ。
「自治体はローカル線に対する問題意識はずっと持っている。責任を押し付けられるのを懸念し踏み込めずにいた」と神田教授。この1年のやり取りを通し、前向きに対処してきたと評価する。その上で「最終的に鉄道の存続を選ぶなら、誰がどう負担するのかという議論は避けて通れない」と覚悟を促す。
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一連の動きをどう見るか。社内に鉄道部門を設け、沿線活性化に取り組む中原水産(枕崎市)の中原晋司社長は「地域の将来に関わる話だ」と当事者意識を鮮明にする。
10年ほど前から沿線の観光関係者らと観光・イベント列車を走らせ、枕崎駅舎を使った各種イベントもしてきた。本業に鉄道を絡めれば、テレビや新聞での広告効果も高いと肌身で感じているという。
「沿線には8万人余りの人口と産業が集積しており、鉄道を活用する力は残っている」と中原社長はみる。JR最南端の終着駅・枕崎駅や開聞岳をはじめ唯一無二の存在も心強い。「公共交通を維持していくためには、市民や民間がその価値を理解し支える機運を広げなければいけない。そのためにも鉄道で稼げるという実績を重ねていく」と決意を示した。
南日本新聞 | 鹿児島
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OS5
:2025/09/17(水) 22:49:36
https://news.yahoo.co.jp/articles/6169bb6099dc4162393325fcf199cb62075ef9b0
存続か、廃線か…災害を機に不通が続く赤字ローカル線 残したい地元に、JRは「上下分離方式」を譲らず
9/15(月) 11:30配信
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南日本新聞
大雨の影響で土台が崩れ線路が宙に浮く肥薩線表木山-日当山間=8月12日、霧島市隼人(JR九州提供)
鹿児島をはじめ全国でローカル線の存続が危ぶまれている。JR各社は区間別の収支や利用状況を公表し、将来の地域交通の在り方を巡り、地元と対話したい姿勢を強調する。近年、自然災害を機に存廃論議に発展するケースも珍しくない。国鉄から引き継がれてきたレールはどうなるのか。鉄路の現状や歩みを振り返る。(連載かごしま地域交通 第4部「きしむレール」②より)
【写真】大雨の影響で崩れた日豊線霧島神宮-国分の線路の土台=8日、霧島市(JR九州提供)
8月8日、姶良、霧島市を中心に降った記録的大雨は鉄道網にも爪痕を残した。JR肥薩線の吉松-隼人(37.4キロ)は山間部で、線路を支える高さ10メートルの土台が50メートルにわたり崩壊。周辺に取り付け道路がなく資材の運搬が厳しいとして「年内の復旧は困難」(JR九州)となった。
列車が運休を迫られる規模の被災は、大雨での線路内への土砂流入や斜面崩壊、河川増水による鉄道施設の流失、倒木での線路故障と多岐にわたる。国土交通省の集計(復旧工事中含まず)では、2023年度から直近5年間に全国で年平均135億円の被害が発生している。
JR九州は「山間部や人口の少ない地域の路線は、治山・治水が不十分な環境にさらされており、被災リスクが大きい」と説明する。古宮洋二社長は8月の会見で、管理外の土地に起因する被災が多いとし「自社での対策が限られる」と厳しい表情を見せた。
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利用者の少ない路線は、被災をきっかけに存廃議論へ発展するケースが珍しくない。20年7月の熊本豪雨で不通が続く肥薩線の八代-吉松(86.8キロ)は、「山線」と呼ばれる人吉-吉松(35キロ)が5年たった今も復旧の見通しさえ立っていない。
国交省によると、被災で1年以上運休が続く鉄道は6事業者9路線。うち一部区間を含め鉄道での復旧が決まっていないか、バス転換の方針となっているのは4路線ある。
災害復旧は事業者負担が原則だ。ただ鉄道軌道整備法に基づき、赤字路線の場合は黒字事業者でも国と沿線自治体の補助制度が使える。自治体が鉄道施設を保有・管理し、運行を事業者が担う「上下分離方式」を採用すれば、さらに補助額が増える仕組みだ。
JR九州が当初慎重姿勢だった肥薩線「川線」の八代-人吉(51.8キロ)は、熊本県や自治体が復旧費を補助するだけでなく、上下分離の採用で復旧後のJRの負担を減らすことで再開合意につなげた。
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23年夏の大雨で全線不通となった山口県のJR美祢線(46キロ)。沿線自治体はJR西による鉄道での復旧を前提に協議を始めた。20〜22年度の1キロ当たりの1日平均利用客数は約370人。年4億7000万円の営業赤字路線だ。
JR西は「単独での復旧、運行は困難」と訴え、上下分離を譲らなかった。1年にわたる議論の末、今年8月、沿線側はバス高速輸送システム(BRT)での復旧検討へと方針転換した。
「議論を長く続けても市民にとっていいことは一つもない。一刻も早く不便な状況を解消するのが先決」と美祢市の担当者。鉄道だと復旧に最短でも10年程度、上下分離を採用すれば自治体も年3億円の負担が発生する。対してBRTは復旧期間3、4年、運営費はJR持ちだという。
JR西の25年3月期決算は1656億円の経常黒字。沿線3市の25年度の一般会計当初予算は752億円ほど。担当者は嘆く。「本当なら鉄道を残したかった。財源が限られる自治体が上下分離をのんで財政負担し、維持するのが持続可能と言えるだろうか」
南日本新聞 | 鹿児島
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OS5
:2025/09/17(水) 22:50:40
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac6eb4f9b1c0f4424c9dce436235aed17b07a536
鹿児島初の私鉄「南薩鉄道」、廃線で一気に過疎化が進む 元沿線の住民は言う「なくなれば復活は難しい。よく考えて」
9/15(月) 17:30配信
南日本新聞
給水塔が残る旧南薩鉄道上日置駅。「駅跡を生かしてイベントを開きたい」と話す成田浩さん=7月、日置市日吉町日置
鹿児島をはじめ全国でローカル線の存続が危ぶまれている。JR各社は区間別の収支や利用状況を公表し、将来の地域交通の在り方を巡り、地元と対話したい姿勢を強調する。近年、自然災害を機に存廃論議に発展するケースも珍しくない。国鉄から引き継がれてきたレールはどうなるのか。鉄路の現状や歩みを振り返る。(連載かごしま地域交通 第4部「きしむレール」③より)
【写真】(資料写真)お盆の乗客で混雑する鹿児島交通枕崎線(南薩鉄道)の伊集院駅ホーム=1954(昭和29)年8月14日、日置郡伊集院町徳重(現在の日置市伊集院町徳重)
薩摩半島西岸を走っていた南薩鉄道(南鉄)は1984年の廃止から41年。伊集院-枕崎の49.6キロのほか、万世線(加世田-薩摩万世)や知覧線(阿多-知覧)を合わせた総延長は最大で68.4キロ。現在の日置、南さつま、枕崎、南九州各市を結んでいた。
「地域の産業や暮らしを豊かにしたいと願い、鉄道を敷設した先人の意気込みに頭が下がる」。南薩線伝承組織委員会の有木道則会長(77)は熱を込めて語る。
南鉄は南さつま市加世田出身で衆院議員を務めた鮫島慶彦氏(1865〜1928年)ら有志により、14(大正3)年4月、県内初の私鉄として開業。南薩の産物を域内外に運び、人々の往来を盛んにした。大正、戦前戦後を通して地域を支え続けた。
52(昭和27)年、岩崎グループに経営権が移る。55年ごろ、1日1万人いたとされる乗客は自家用車の普及とともに減少。72年度は4000人、81年度2100人と半減した。年1億円超の赤字を出すようになり廃止を検討していた83年、加世田豪雨で被災し全線不通となる。部分復旧はしたが湧水対策などに十数億円かかるとの見通しもあり、完全復旧がかなわないまま翌年、70年の歴史に幕が下りた。
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南鉄の駅や線路、橋脚といった施設跡は、沿線各地に残る。日置市日吉の旧上日置駅には、ホームや待避線の跡、蒸気機関車用の石造り給水塔が名残をとどめる。
地元の住吉地区公民館顧問の成田浩さん(78)は、生家が駅の横にあった。起終点の伊集院の隣駅で大きくはなかったが、朝夕は通勤通学客がホームを埋めた。
旧日吉町内には上日置、日置、吉利の計3駅があった。旧町議を経て日置市議も務めた成田さんは、過疎化や南鉄のバス転換の中、昔の駅周辺が寂しくなる様を見てきた。「時代の流れ」と受け止めつつ、地区の中心だった駅前の衰退が地域の活力低下を早めた気がしている。2020年国勢調査では、廃線時7000人弱だった旧町人口は3割以上減。181万人から1割強減の県全体の減少幅より大きい。
成田さんは廃線後、ボランティアや地域活動で年に数回、駅跡の草を払い、時々訪れる観光客に説明を買って出る。「せめて年1回でもイベントを開き、にぎわう場をつくりたい」
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南薩線伝承組織委の有木会長は、JR九州が株式上場した16年、完全民営化が赤字路線の廃止検討への転換点になると危惧していた。被災から廃止へ一気に流れた南鉄の経緯を見れば、地域公共交通を担う事業者であっても、一企業としての経営が優先される事情が想像できたからだ。
当時の新聞に南鉄を運行する岩崎グループ社長のコメントが載っている。「民間企業としての赤字の限度を超えた」「本業のバス部門にとって、鉄道が命取りになる」
今、県内各地で路線の存廃が取り沙汰される。有木さんは「鉄路があれば、外から人を呼び込むチャンスがつくれる。一度なくなったら復活は難しい。地域でよく考えてほしい」と強く願う。
南日本新聞 | 鹿児島
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OS5
:2025/09/17(水) 22:51:50
https://news.yahoo.co.jp/articles/79d99a32290fdbae54beb0fe3d55c306629bb310
鉄道会社ながら稼ぎ頭は不動産…上場後にコスト削減を加速させたJR九州、経営基盤強化へ「できることは何でもやった」
9/16(火) 6:25配信
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南日本新聞
再開発中のJR鹿児島中央駅西口周辺。JR九州が手がける分譲マンションの工事が進む=8月22日、鹿児島市
鹿児島をはじめ全国でローカル線の存続が危ぶまれている。JR各社は区間別の収支や利用状況を公表し、将来の地域交通の在り方を巡り、地元と対話したい姿勢を強調する。近年、自然災害を機に存廃論議に発展するケースも珍しくない。国鉄から引き継がれてきたレールはどうなるのか。鉄路の現状や歩みを振り返る。(連載かごしま地域交通 第4部「きしむレール」⑤より)
【連載かごしま地域交通 第1部「ゆらぐ足元」①〜⑦】
鹿児島の陸の玄関口であるJR鹿児島中央駅(鹿児島市)。西口には2023年、複合商業ビルが開業し、隣接地では再開発が進む。仮囲いを見ると、JR九州の分譲マンション「MJR」の文字がひときわ目立っていた。
鉄道事業が祖業ながら稼ぎ頭は不動産事業だ。25年3月期連結決算によると、運輸サービス部門は121億円の営業黒字。不動産は246億円と2倍の利益を計上した。売上高に当たる営業収入(4543億円)の内訳は、不動産のほか、ホテルや流通などの「非鉄道」が3分の2を占め、他のJRより割合が高い。
1987(昭和62)年4月の発足以来、「できることは何でもやってきた」と中堅以上の社員は口をそろえる。
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分割・民営化された当時、国鉄の長期債務は37.1兆円。3大都市圏の東、東海、西のJR3社を中心に一部を引き継ぎ、残る25.5兆円は国鉄清算事業団が土地や保有株の売却で処理するとした。
九州、四国、北海道の「三島会社」は厳しい経営が見込まれたため債務は負わず、国から1.3兆円の持参金「経営安定基金」を渡された。JR九州分は3877億円。ただ基金の運用益で鉄道の赤字を補うという見通しは、バブル崩壊や低金利時代で外れる。「ダボハゼ経営」と皮肉られながら鉄道以外の分野を開拓。九州新幹線開業を起爆剤に経営基盤を固めてきた。
2016年度の株式上場による完全民営化を目指す中、基金の扱いが焦点となった。JR九州は基金を保有したまま上場を進めようとしたが、公平性を欠くとして認められなかった。政府内では国庫返納を求める声も出た。
国交省は基金を債務返済に充てるのが適正と判断。ローカル線維持や利便性確保のためには財務体質の強化が欠かせないとし、JR会社法改正で基金の取り崩しを認めた。債務返済が進めば市場の評価も高まるとの期待もあった。
取り崩した基金は、九州新幹線の線路などを保有する鉄道建設・運輸施設整備支援機構に、開業から30年間払うことになっている使用料の一括払い(2205億円)や、鉄道関連の投資(872億円)に充てることになった。
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16年10月の上場後、JR九州はコスト削減の動きを強める。各地でワンマン運転や駅の無人化を拡大。「ローカル線の在り方に関する議論の推進に注力する」(25〜27年度の中期経営計画)の文言通り、指宿枕崎線や日南線の末端区間について、沿線自治体と議論を進めている。
「JR発足時から利用客が7、8割減っている区間もある。大量輸送機関としての鉄道の特性が生かせているのか」。古宮洋二社長は会見で度々疑問を呈す。「いつか乗る、誰か乗るではローカル線はなくなる。地元は『マイレール意識』を持ってほしい」
国鉄清算事業団が処理を担った24兆円余りの債務は1998年に国が引き継ぎ、直近の残高は15兆円ほど。「レールを残していくため」と返済し続けている。
=おわり=
南日本新聞 | 鹿児島
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