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新・鉄道綜合スレ

5121OS5:2025/08/10(日) 19:11:47
清水さん
「例えばアテンダントを乗務させることで今までの鉄道会社として、ちょっとこれは対応が冷たいんじゃないかっていう、そう思われていたかもしれない部分を、大幅に改善したんですね。えちぜん鉄道の非常にそういう人に優しい経営人に優しい鉄道という経営方針。そういったものに非常に住民が評価をしたと」

こうした取り組みをきっかけに、福井県内のもう1つの鉄道会社、福井鉄道の再生や、長年の課題だった両社の相互乗り入れも実現しました。

沿線の駅にはパークアンドライド用の駐車場がおよそ1400台分も整備され、公共交通の活性化につながりました。

その後、北陸新幹線の開業で北陸線は第三セクターに移管されましたが、福井県では“鉄道ネットワークの維持”という考え方が根づいていました。

清水さん
「(鉄道会社どうしを)下手に競争させるとですね、やっぱり、非常に疲弊するっていうものもありますし、そのネットワークとして鉄道を活用する。それから維持する。競争ではなくて、連携する」

富山地方鉄道の創業者・佐伯宗義がおよそ90年前に提唱した「一県一市街化構想」。

交通網で富山県全体を結び、誰もが平等に労働・文化・教育の機会を得られる社会を目指しました。

地鉄の中田社長は創業者の信念は理解しているものの、現状は極めて厳しいと話します。

中田社長
「宗義がそれを構想した時の状況は全然違うわけですよね。私なんかは営業努力が怠って利用者が減ったとかではなくて線路を維持する費用が上がって負担ができない、費用が上がって収支的に厳しくなったということなんで、どちらかというと外的要因なわけです。うちも本当は残して、私も個人的には残したいですけども、今の現状のまま頑張りなさいと言われても、それはちょっと無理ですという話です」

失ってから鉄道の価値の大きさに気付く、後の祭りとならないように。後悔のない、十分な議論が必要です。

鉄道の廃線の議論は富山県内ではこれまで何度も繰り返されてきました。

自動車社会が進展した1970年代から80年代にかけて地鉄はグループ会社を含め加越線、笹津線、射水線の全線を廃止してきました。

90年代に入ると万葉線が廃線の対象となりました。

廃線か存続か、議論が白熱していた当時、対策問題懇話会の蝋山昌一会長の発言がひとつの指針となりました。

故・蝋山学長
「全体の総合的なまちづくりというものと、この公共交通というものは深く関与しているということを、我々は考えておかなければならない。同時にそれは、経済的な、人々の経済的な合理性のみによって判断できる部分とできない部分がある。そこをきちんと我々は認識していく必要があるのではないか」

経営的な判断だけでなく、公共交通としての社会的便益、まちづくりの重要性が強調されました。

これにより万葉線は、行政、市民を巻き込んでの大きな議論の末、存続されることになりました。

路面電車として国内で初めて第三セクターの新会社を設立し、現在に至っています。

地鉄の中田社長は今回、KNBの取材に対し苦しい経営状況を踏まえ廃線の意向を具体的な駅名をあげて明らかにしました。

経営者としては合理的な判断ですが、鉄道という社会全体に影響する財産を本当になくしていいのか。

議論の猶予は地鉄が廃線を判断するリミット、今年秋まで、あと数か月しか残されていません。

この問題、引き続き取材を続けます。

最終更新日:2025年8月8日 19:38


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