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新・鉄道綜合スレ

5114OS5:2025/08/10(日) 12:39:08
地下鉄によって「路面電車」は大幅に減っていたかも?
 市内の地下鉄区間は「路面電車の代替」としての役割もあった。

 広島電鉄の路面電車は、1963年に軌道敷内への車両乗り入れが許可されたことで、クルマに行く手を阻まれるようになっていた。通常の路面電車なら時速10〜15キロである平均速度が、広島では時速5キロと、驚異的な鈍足でしか動けなくなっていたのだ。

「車両が古い、時間通りに走らない、遅い」と三拍子そろってしまった路面電車を擁する広島電鉄は1966年に赤字へ転落、社内外で廃止がささやかれるような惨状が続いていた。それに対して地下鉄なら道路渋滞にも巻き込まれず、所要時間を圧倒的に短縮できる。

 かつ、1両100人・8両編成の地下鉄なら数百人以上を数分おきに運べるため、1両単体で数十人しか運べない路面電車との輸送能力の差は、歴然としている。こうして、東西線とほぼ同ルートである広島電鉄本線などは、地下鉄に役目を譲ってほぼ廃止となる見込みであった。

 地下鉄建設の対象から外された江波・宇品方面への路面電車のみ、経路を変えた上で存続することになっており、「平和大通り」なる新駅では、地下鉄と路面電車を地下の同一ホームで乗り換えできる計画図がある。実現すれば、全国で類を見ない「地下鉄・路面電車の共同駅」が誕生していたのだろう。

なぜ、計画はとん挫したのか?
 地下鉄を建設するか検討中の1967年には、「どの区間からどの区間への移動が多いか」など都市間の移動を調査する「パーソントリップ調査」が、本格的なものとしては日本で初めて行われている。その後、再三変わった想定ルートも最終案が決まり、事業化・着工を待つのみ——だったのだが、現実には建設に至らず、膨大な調査は無に帰してしまった。

 のちに人口120万人まで増加するほどに急成長を遂げていた広島市で、なぜ地下鉄建設は、実現しなかったのか?

 地下鉄の建設に当たっては、830億円という工事費用を巡る議論や、工事期間中に多大な影響が出るであろう「道路開削」の是非など、さまざまな反対意見が噴出していた。しかし、それ以上に根本的な問題点である「国鉄・国からの乗り入れ拒否」でつまずいてしまった。

 地下鉄の建設を議論する際にさまざまな要望を取り込んだせいか、地下鉄車両が乗り入れる国鉄路線の改修にも、莫大な費用を必要とした。発案されたものだけで「呉線の複線化」「海田市駅近辺の高架化」「芸備線の電化」など、令和の現在でも実現できていないような事項が、計画書にはこれでもかと盛り込まれている。


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