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新・鉄道綜合スレ

4830OS5:2024/07/08(月) 21:17:35
https://news.yahoo.co.jp/articles/cdf48aee2a477951959bb5004b8304c51d0291b8
広がる高速道路網との競合…JR四国、赤字事業に新モデル打ち出す
7/5(金) 17:04配信


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読売新聞オンライン
駅周辺の「空洞化」
 JR徳島駅西側に延びる約160メートルの通りはシャッターが目立つ。「ポッポ街商店街」。1971年にでき、80年代は約50店が営業していたが、いまは半数以下の約20店しかない。

 振興組合理事長でアクセサリー販売店経営の男性(64)は「『橋がつながれば関西からも人が来る』と楽観的な人も多かったが、実際は車で買い物に出て行くばかりだった」と振り返る。

徳島駅前から出発する高速バス(徳島市で)

 徳島駅は四国のJRで2番目の利用者数だが、周辺の「空洞化」が課題となっている。徳島市によると、2021年までの10年間で市全体の人口は2・4%減少したが、駅周辺の中心市街地は8・4%減と減少幅が大きい。卸売り・小売業事業所数も16年までの約10年間で21・2%減り、20年には駅前にあった百貨店「そごう徳島店」も閉まった。

 郊外化に加え、市は要因の一つとして高速道路の影響をあげる。1985年、淡路島と徳島県を結ぶ大鳴門橋、98年には明石海峡大橋ができ、関西との行き来が活発化。高速バスで関西へ簡単にアクセスできるようになり、駅前が消費先として選ばれにくくなった。

 ポッポ街商店街はコロナ禍を経て、人通りが減って厳しい。「飲食店を増やしてもう一度盛り上げたい」と理事長。駅東側の高速バスの乗り場は車両が頻繁に往来する。徳島駅と京阪神を結ぶ高速バスは1日100往復以上に上る。

広がる高速道路網
 四国初の高速道路は85年、松山道・三島川之江インターチェンジ(IC)―土居IC間の11キロで誕生した。87年のJR発足から約3か月後には、国は全国に高速道路網を張り巡らす計画を決定。四国では「8」の字の形で4県を結ぶ約660キロの整備が本格化した。

JR四国の利用者

 それから37年。今年3月末、発足時の51倍超にあたる563キロが走る。

 国土交通省の算出では、高速道路網の広がりで、四国内の車の移動時間は4〜5割程度短縮。本四架橋で本州が近づき、人の往来に加え、物流環境も改善した。

 これに対し、JRは利便性の向上で対抗する。運行本数を増やして乗る機会の確保に努めた。鉄道運輸収入が年々減る中でも、列車の運行量は維持してきた。

高速バスを意識し、90年代以降、県庁所在地間はバス運賃と同水準にした割引切符を次々と発売。民営化後、運賃の値上げも消費増税を除けば96年と2023年の2回にとどまったのはライバルの存在も影響した。また、自ら高速バス事業にも参入した。

「四国モデル」
 だが、鉄道から車への流れは止まらない。四国運輸局によると、四国内の移動における自家用車のシェアは1985年に64・9%だったが、2009年は92・3%を占めるまでに拡大。対して、JRは5・4%から、1・8%に減った。

 もはや他の交通機関と客を奪い合う時代ではなくなった。JRは21年、連携して交通網を維持する「四国モデル」を打ち出す。徳島県の牟岐線では、列車とバスの乗り継ぎで利便性を補完する取り組みを進める。

 鉄道と高速道路の競合について、関西大の宇都宮浄人教授(交通経済学)は「道路は公共事業、鉄道は基本的に民間事業という、右肩上がりの時代の仕組みが変わっていない。欧州では社会インフラとして鉄道施設を公的に保有し、運行も公的補助がある」と指摘。「日本も鉄道を道路と同じ社会インフラに位置づけ、地域の発展と生活の質を考える必要がある」とする。

 過疎化、高速道路との競合、赤字の鉄道事業――。四国と同じく赤字前提で発足した「三島会社」の中、JR九州は「脱鉄道会社」を掲げ、株式上場にまでこぎ着けた。両社を分けたのは何だったのか。


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