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新・鉄道綜合スレ

4707OS5:2024/03/25(月) 11:57:39
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ac1f0b75121bd33b80cb0a420815f79517d5181
「終着駅にしたくない」「地方切り捨て」存廃協議控えたJR芸備線、利用者や沿線の人嘆く
3/25(月) 8:00配信

産経新聞
人気のない備後落合駅で始発の出発を待つ車両=広島県庄原市

■乗客30人…記者も乗車し取材

広島(広島市)と備中神代(こうじろ、岡山県新見市)の159・1キロを結ぶ芸備線。山陽と山陰を結ぶ唯一の路線で、昭和30年代には急行が走るなど全盛を迎えたが、47年の新幹線岡山開業などを機に低迷、62年度には2561人だった平均通過人員は令和4年度は1170人にまで減少した。

協議会の対象となるのは、その中でもとくに利用者が少ない備後庄原(広島県庄原市)と備中神代間の68・5キロだ。沿線の現状はどうなっているのか。

3月の平日。午前11時2分発の三次(広島県三次市)行きは2両編成で、三次から備後落合(同県庄原市)へは1両編成の列車に乗り換える。乗客は約30人。乗り合わせた岡山市の中学3年の女子生徒(15)は「廃線になったら嫌なので一度乗ろうと。朝、岡山を出て広島から乗った。新見まで行ってまた岡山市に戻ります」という。

午後2時過ぎに到着した備後落合では、芸備線の上下線に加え、宍道(しんじ)(松江市)と結ぶ木次線の列車も着き、多くの乗客がホームへ。写真撮影する鉄道ファンが多く、想像以上に活況だ。

年間350日は備後落合でボランティアガイドを行う元国鉄マンの永橋則夫さん(81)が出迎えてくれ、乗り換えを待つ乗客に芸備線の歴史を写真やパネルで説明する。永橋さんは、かつてはこの駅に100人以上が勤務していた歴史を振り返り、「山陽と山陰を結ぶ要衝として備後落合駅がある。なくなるのは忍びない」と話す。

■売り上げ300万円から5000円に

20分ほどの待ち時間の後、備中神代方面へ2駅の小奴可(おぬか、庄原市)で下車したのは記者ひとり。到着は午後3時2分で広島駅から4時間かかったことになる。

この駅でJRから委託を受け、切符販売を担うタクシー会社の林嘉啓社長(62)によると、約40年前には多い月で約300万円あった売り上げが近年では5千円ほどになっているという。「一日に上下各3本だけでは広島に日帰りもできない。地方を切り捨てる国の政策はおかしい」と嘆く。

翌日、備後落合を午前6時41分に出発する三次行きに乗り込んだのは3人。静寂の中、ディーゼルカーの警笛だけが響き、積雪の中をワンマンカーが入ってきた。

途中駅からは通学の学生がぽつぽつと乗り込んで来る。

備後西城(同市)から備後庄原(同市)を通学で利用する高校1年の城田侑希くん(16)は野球部に所属。「部活もできるし、特に不満はない。今後、芸備線がなくなれば、後輩たちが通学できずに困るのではと心配だ」という。

■「一度無くせば後戻りはできない」

再構築協議会の協議結果によっては、備後庄原駅が広島方面から向かう終着駅になる可能性がある。

同駅の駅員、清原正明さん(69)は元JR職員で芸備線を中心に運転士などとして約40年勤務し、退職後は同駅の窓口で働く。「鉄道は一度無くせば後戻りはできない。備後庄原を広島駅からの終着駅にしてはいけない」と話す。

備後庄原は昨年、芸備線の前身、芸備鉄道から数えて開業100周年を迎えた。芸備鉄道の開業と同時期に運行を始めたバス会社、備北交通(同市)の三上明子さん(53)は「これまで芸備線と二人三脚でやってきた。『芸備線が廃線になれば、バス会社でもうかるからいいでしょう』という声もあるが、それは違う。芸備線は存続してほしい」という。

午後になり、備後庄原から備後西城へまたひとり乗り込む。備後西城駅は昭和45年、同市西城町で目撃証言が相次いだ謎の類人猿「ヒバゴン」の比婆山麓の最寄り駅だが降車客はなく、次の列車を1時間待つ。通りかかった住人女性は「この時間は、ほとんどだれも乗りませんよ」という。

協議会は26日。芸備線沿線の声は届くのだろうか。(藤原由梨)


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