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新・鉄道綜合スレ

4584OS5:2023/12/11(月) 17:21:04
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7a902287edfbd19119bf22f376e8fec074044da
JRの前身「国鉄」はいつ誕生した?  "起源"をめぐる歴史観と思惑
12/11(月) 6:04配信

現代ビジネス
国鉄の歴史を彩る貴重写真

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新幹線をはじめ全国の鉄道ネットワークを、かつて「国鉄」という公営企業が担っていたということは、JRしか知らないという世代の方もよくご存じだと思います。
ですが、その始まりはいつのことか、どれだけ続いたものだったのかと聞かれると、すぐに答えられないのでは? 明治のはじめに日本に鉄道が初めてできたときから? 戦後に「公社」日本国有鉄道となったときから? 実はこの「国鉄はいつできたの問題」はただのトリビア的な豆知識というのではなく、鉄道と日本近代の歴史を考える上での重要な問題をもっているのです! 
このたび講談社選書メチエから刊行された、鈴木勇一郎著『国鉄史』からお届けします。
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国鉄が消えたときに語られた「歴史」
 1987年に日本国有鉄道が終焉を迎えたときは、いまだその存在感は社会の中でも大きなものでした。新聞や雑誌などには「国鉄115年の歴史に幕」といった表現が躍り、その歴史の長さが強調されていました。しかしながら、「国鉄115年」という捉え方は、現在の筆者の視点からは、やや一面的に過ぎるものに思えてなりません。

 たしかに、国鉄を「国が経営する鉄道」と捉えるならば、115年というのは必ずしも噓ではありません。明治5(1872)年に開業した新橋・横浜間の鉄道は官営、つまり政府の直営でしたから、1987年時点ではたしかに100年以上が経過しています。しかし、国の鉄道が全国の路線を一元的に管理する体制という意味で捉えるとすると、その実現は意外に遅く、日露戦争(1904-1905)後のことになります。

カネがない明治政府が鉄道を敷くための裏技
1885年に完成した上野駅(『上野駅史』、NDLイメージバンク)

 明治政府は最初の新橋・横浜間の鉄道を作ることができたものの、さらに路線を全国に建設して経営するだけの財力はありませんでした。そこで政府は、民間の出資を仰いで株式会社を設立し、鉄道を建設することにしたのです。

 こうしてできたのが日本鉄道という私鉄です。日本鉄道は、主に東北方面へ路線を展開していきました。この会社は政府の肝煎りで作られたいわば半官半民の私鉄でしたが、その後、純然たる民間資本の私鉄が次々と出現します。山陽地方や九州、関西といった地域の鉄道ネットワークの多くは、そうした私鉄によって形作られていきました。こうして、明治20年代以降日本の鉄道は、私鉄が官鉄の路線延長を上まわるようになります。明治時代は私鉄の時代だったのです。多くの民間鉄道会社が存在し、その中に国が経営する鉄道も一部にはあった、というのが当時の実態でした。

私鉄は全部、国のモノ?
 こうした体制を根本的に変革したのが、鉄道国有化でした。1906年に鉄道国有法が施行されると、政府は全国の主要な私鉄を買収しました。ここで重要なことは、全国的なネットワークを担う鉄道は国家が統一的に経営するという原則が確立したことです。逆に言えば、私鉄は地域交通を担う役割だけの存在とされたのです。

 一般的な国鉄のイメージというのは、こうした全国一体のネットワークを持つ鉄道というものでしょうが、それは明治初期の鉄道創業時からあったものではなく、日露戦争後の鉄道国有化にその直接の起源があったのです。以降、帝国鉄道庁、鉄道院、鉄道省、そして日本国有鉄道と、その組織は変遷を重ねながら、政府が直接鉄道を経営するという体制が続いたことは事実です。とは言え、JR誕生の時に流布されたような、「国鉄による一元的なネットワークの歴史が100年以上も続いていた」というイメージは、実際の歴史からはかなり乖離したものでした。


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