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新・鉄道綜合スレ

4425OS5:2023/08/08(火) 18:52:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/88cefe9ec124e6da5634e8db9cae9577e059ac8c
構想から30年かかったモノレールの開業 「ドル箱路線で…」部長らが“今だから話せる”当時の裏話
8/8(火) 17:57配信

RBC琉球放送
琉球放送

那覇の市街地を貫き、浦添まで伸びる沖縄のモノレール。その構想は、復帰した1972年に始まりました。


第一次沖縄振興開発計画に、軌道系システムの必要性が提起され、県と那覇市がモノレールの具体的検討に入ります。慢性的な交通渋滞や、大気汚染に悩まされていた、県都・那覇。公共交通の再編と、再価値化が、モノレール導入の大義でした。

1979年、県と那覇市が都市軌道建準備室を設置。ルートの検討に移っていきます。

西銘知事(1980年)
「ようやく県と那覇市が一緒になって準備室を設けて取り組むようになりましたので早く実現したいと思っております。遅くても国体の開催が予定されている昭和62年以前に、59年から60年には供用開始ができるような体制に固めていきたい」

実はこの時点では、1987年の海邦国体に合わせて、『赤嶺』から『おもろまち』間の部分開業を目指していました。

しかし、競合となるバス事業者との交渉がまとまりません。ルートが重なるバス事業者との交渉は、最大の課題に…。そのさなかには「モノレール断念」を伝える報道もありました。事業採算性や、資金調達など、バス交渉以外にも懸念事項が多く、先行きの見通せない時期が続きました。

大田県政となっていた1994年、10年以上かかってついにバス事業者と基本協定を締結。

大田知事(1994年)
「10数年かけてやっと実ったわけですから、こんな嬉しいことはありません」

これ以降、建設工事は順調に進み、2003年の開業へとこぎつけたのです。構想から、30年が経っていました。

開業前からモノレール社で働く、現在の4人の部長に、入社当時の若かりし頃を思い出しながら振り返ってもらいました。

Qもう時効でお話できるエピソードは?
長堂克彦 総務部長
「あるっていうか…、当時は日付も変わるくらいブラックで、残業代がすごくかさんで、今の基準で考えるとちょっと危なかったのかな(笑)」

開業までの苦労は、先輩たちからも伝え聞いているといいます。


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