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新・鉄道綜合スレ

4422OS5:2023/08/08(火) 08:00:28
 平日の日中、筆者はかしてつバスに乗車。石岡駅発、専用道経由の茨城空港行のバスについては筆者を含め6人の乗車があり、ビジネスマン風の中年男性1名と中年女性3人が専用道の玉里工業団地西口で下車。小川駅では高齢女性1人と筆者の2名が下車し、無人のバスが茨城空港方面へと発車していった。

 常陸小川駅跡地に整備された小川駅バスターミナルにはまったく人の気配がなく、後続の新鉾田駅行のバスに接続するために茨城空港からやってきたコミュニティバスの乗客はゼロ。筆者が乗車した新鉾田駅行のバスは筆者のほかは高齢女性1人のみの乗客で途中の集落で下車。新鉾田駅まで乗車したのは筆者1人のみであった。

■活動を継続できなかった「かしてつバス応援団」

 鹿島鉄道の経営問題が表面化したのは2001年8月のこと。それまで鹿島鉄道線を介して行われていた航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送がトラック輸送に切り替えられることになり鹿島鉄道は貨物輸送収入を喪失した。

 2002年7月には沿線の茨城県立小川高校の生徒会が中心となり「かしてつ応援団」が結成され鹿島鉄道存続に向け県知事への署名活動などを実施。親会社の関東鉄道の経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることになり一旦は廃線危機が回避された。

 しかし2005年に秋葉原―つくば間で開業したつくばエクスプレス(TX)が、鹿島鉄道の親会社だった関東鉄道の業績を直撃した。それまでドル箱路線だった東京―つくば間の高速バス乗客を根こそぎ奪われたほか、鉄道線である常総線も守谷駅でTXに乗客を奪われ鉄道旅客収入は2004年から2006年にかけて約2割減少した。こうしたことから、関東鉄道は2006年度限りで鹿島鉄道への経営支援の打ち切りを決定。鹿島鉄道は同年3月30日に鹿島鉄道線の廃止届を国土交通省に提出した。

 これを受けて茨城県と沿線自治体などで組織する鹿島鉄道対策協議会は、第三セクター鉄道としての存続を模索しつつ、代替バスへの転換も検討する方針を確認した。

 同年11月には鉄道運営を引き継ぐ事業者の公募が行われ、2社からの応募があった。地元NPO法人と住民有志では新会社「霞ヶ浦市民鉄道」を設立する計画が練られ、沿線に創業者の実家があるジョイフル本田やタカノフーズからの出資や岡山電気軌道への鉄道運行委託について実際に交渉が行われていたが、協議会は2社の提案内容について「2007年度から5年間予定している支援額6.5億円(年1.3億円)を超える負担が必要となる」ことなどを理由に不採用とし、鹿島鉄道線は2007年3月31日限りで廃止された。

 当時、存続運動に携わっていた元茨城県立小川高校生徒会顧問の栗又衛氏は「鉄道事業者公募は、結局は行政側のアリバイ作りだったのではないか」と悔しさをにじませる。

 実際には、鹿島鉄道存続のために想定していた6.5億円を超える約8.3億円がバス専用道整備に、約5.5億円がバスターミナル整備に投じられたが、地域活性化への機会と利便性は大きく損なわれる結果となった。

 2002年7月から存続運動を展開していたかしてつ応援団は、2007年6月以降は「かしてつバス応援団」として代替バスの利用促進活動などを続け鹿島鉄道線跡地のバス専用道化に影響を与えたが、小川高校閉校後の2013年度以降は活動を継続できなくなった。


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