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新・鉄道綜合スレ
4372
:
OS5
:2023/06/13(火) 19:52:37
https://news.goo.ne.jp/article/merkmalbiz/business/merkmalbiz-41906.html
静岡の謎! 熱海駅すぐ近くの「三島駅」に新幹線がわざわざ停車する理由
2023/06/13 05:41Merkmal
静岡の謎! 熱海駅すぐ近くの「三島駅」に新幹線がわざわざ停車する理由
三島駅(画像:写真AC)
(Merkmal)
近すぎる熱海駅と三島駅
新幹線は速達性を重視するため、駅間の距離は一般的に離れている。しかし、熱海駅と三島駅の距離はわずか約16kmしか離れていない。
各駅停車の「こだま」に乗れば、新丹那トンネルを抜けてすぐに三島駅に到着する。時間にしてわずかに7分程度。東海道本線では途中駅があるものの、それでも14分である。一体どうしてこんな近い場所に新幹線駅ができたのだろうか。
その理由として最もよく語られるのが、
「熱海駅が狭かったから」
というものだ。
梅原淳『新幹線の謎と不思議』(東京堂出版)によれば、1964(昭和39)年に東海道新幹線が開業した際、熱海駅までこだまを利用する乗客が多く、増発が行われた。ところが同駅には折り返し設備がなかった。そのため、静岡駅まで走らせて折り返しをする必要があった。
この問題を解決するため、1965年9月に三島信号所が開設し、折り返し線と引き上げ線が設置されている。これに対して地元では、信号所ではなく駅を求める運動が広がり「国鉄新幹線静岡県東部地域新駅設置期成同盟会」が結成された。この運動の結果、国鉄が1967年に新駅の設置を決定。1969年4月の三島駅開業に至った。
しかし、この説明ではどうしてもわからないことがある。それは、そもそもなぜ信号所が
「三島に設置されたのか」
である。
熱海駅(画像:写真AC)
2冊の文献に記されていたこと
当時の静岡県知事だった斎藤寿夫は、佐久間ダムや田子の浦港などのインフラを整備した人物として名を残している。そんな斎藤は知事時代を回顧した自伝に、三島に信号所が設置された理由を、しっかり書いていた。
「そもそも三島に新幹線操車場ができたのは、山田代議士が運輸政務次官当時、国鉄幹部を次官室に招いて、三島ならば用地確保が容易であるから、三島周辺に操車場を設けるよう指示したことによる」(斎藤寿夫『回顧 知事十六年を中心に』江崎書店、1979年)
文中の「山田代議士」とは山田弥一衆議院議員のことである。山田は熱海市の生まれで、市議・県議を経て1952(昭和27)年に衆議院選挙に初当選。以降、5期を務めて第1次池田内閣(1960年)では運輸政務次官となった。
鉄道の歴史において「我田引鉄(自分の票田に鉄道を敷く)」の事例は、枚挙にいとまがない。三島駅も、その一例だったというわけである。では、山田はどういう意図を持っていたのか。
山田は1978年に死去しているが、亡くなる2年前の1976年に『古稀の光彩 山田弥一氏の巨跡』という伝記が出版されている。ここでは、より詳細が記されている。
「車両清掃場、操車場を、神奈川県か三島に作る計画がある事を知り、国鉄当局に当たったところ、目下検討中という事が判った。そこで、三島に造ることができたなら、新幹線の三島停車により、県東部は勿論、伊豆中部の温泉観光地帯の発展に、大きな役割を果たす事ができるものと考え、ぜひとも実現しなければならぬと決意した」
つまり、設置計画を知る立場にあった山田が、その地位を利用して将来は駅に昇格させることを企図して、三島に信号所設置を実現させたというわけである。
ただ、悲しいのは山田の入閣歴が第1次池田内閣での運輸次官までだったことだ。仮に山田が運輸大臣であったなら、政治力で信号所を駅に昇格させるのは容易だったかもしれない。しかし、山田にはそこまでの政治力はなかった。
新幹線(画像:写真AC)
陳情を全て拒否した国鉄
では、なぜ三島駅が実現したかといえば、地元の熱意に加えて地縁・血縁が幸いしたためである。
確かに地元の熱意は、強かった。三島市と隣接する沼津市では、東海道新幹線の建設時から新幹線駅を求める声が止まなかった。静岡県には、既に新幹線駅が
・熱海駅
・静岡駅
・浜松駅
と三つ存在していた。静岡市(県中部)と浜松市(県西部)は駅があるのに、伊豆地方の駅は熱海駅だけというのは、三島・沼津の両市にとって不満しかなかった。
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