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新・鉄道綜合スレ

4027チバQ:2022/09/21(水) 07:19:24
 しかし、西九州新幹線の開業後、肥前浜駅から長崎側は非電化区間になるので、電車の「36ぷらす3」は走れなくなる。このため同列車の運行は長崎本線を通らない新ルートに変更されたのが、肥前浜駅にだけは立ち寄ることになった。肥前山口(江北)駅から長崎本線に入り、肥前浜駅で約50分停車してから引き返すダイヤにしたのである。「JR九州としては、わざわざ引き返してまでも、立ち寄りたい駅だったのです。住民の地道な活動があったからこそだと思います」と木原係長は解説する。

 鉄道の裏通りになっても、努力次第では「表」になる可能性がある証拠だろう。

 ただ、非電化という制約にどうしても阻まれてしまう地区もある。

しかし、その制約を撥ね除け地元住民たちは…
 肥前浜駅からさらにもう一つ長崎側にある肥前七浦駅(鹿島市)。普通列車しか止まらない無人駅だ。

 この駅の近くには「道の駅鹿島」がある。同施設が面した有明海では毎年、「鹿島ガタリンピック」が開かれてきた。干潟でムツゴロウ漁に使う「潟スキー」の競争をしたり、干潟に渡した板の上を自転車で走ったりするイベントである。

 観客が約3万人も訪れるため、JR九州は肥前七浦駅に特急列車を臨時停車させていた。が、これはもう不可能になる。

 肥前七浦駅は平屋建ての小さな駅だ。特別なものは何もない。だが、わざわざ駅舎を見に訪れる人がいる。

 戦前の建築というレトロな木造駅舎。地元集落の女性達がきれいに掃除をしているので、無人駅特有のすさんだ雰囲気はない。駅事務室は戸が取り払われて、まるで喫茶店のような机と椅子が置いてある。机や棚の上には、花が活けてあった。近くに住む70代の女性が毎朝4時半に起きて、自宅の庭から切り花を持って来るのである。住民が持ち寄った本の図書コーナーもあった。

 国鉄時代から駅にあった金庫は、錆びているものの、落ち着いた色調の敷布が掛けられており、焼き物も置かれてインテリアのようになっていた。

 駅舎の入口にはしめ縄が飾られていた。これはかなり珍しいのではなかろうか。約130戸ある地元の集落では、神社のお守りとして全戸の玄関にしめ縄を飾っている。「駅も大切な場所なのだから」と、家と同じように飾りつけだのだという。

 人々の温かさが感じられる駅舎だった。

 駅には来訪者ノートが置かれていた。「来てみたいと思っていました。想像通りすてきな駅」「楽しい旅気分になりました」などと駅舎を掃除する女性達へのメッセージが並ぶ。



観光客をひきつけるのは住民たちの“〇〇力”だった
 ここでも、やはり「もてなし」の住民力が人を引きつけていた。肥前浜駅とは別の意味で、鹿島らしい場所なのかもしれない。

 掃除に参加している女性の1人に会った。「非電化区間は人口が減っている地区でもあるので、何だか見捨てられたような感じがします。でも、ここから長崎方面にかけてが、長崎本線で一番車窓の景色が美しいところなんですよ。有明海に沿って走る列車から、雲仙普賢岳も見える。トンネルばかりの新幹線とは違って、列車を楽しむことができるのです」。

「裏通り」には、スピード重視の「表通り」とは違った楽しみ方があるのだろう。

 思い返せば、鹿島市には「裏通り化」への危機感をプラスに転じた歴史があった。ガタリンピックだ。

 1984年に発表された佐賀県の総合計画で、鹿島市には将来、新幹線も高速道路も通らないと分かった。これが引き金となり、市内の若手が地域起こしグループを結成。それまでは見向きもされなかった干潟で遊べないかと発案した。木原係長は「最初は『そんなこと、できるわけなかろうもん』と地元に言われたのですが、最後は若手と地元が協力して成功させました」と語る。1985年の第1回大会には小学生だった木原係長も出場している。

 ガタリンピックを生んだ「裏通り化」への危惧は現実のものとなった。

 鹿島市内には「観光客はマイカーや団体のバスが主流なので、鉄道で裏通りになってもそれほど変わりはない」と強気の人も少なからずいる。しかし、通勤通学を含めて、沿線が大きな曲がり角に直面しているのは間違いない。

 寂れた裏通りになるのか、それともキラリと光り、人を引き寄せる裏通りになるのか。

 同じ裏通りにも、種類があるのだろう。

写真=葉上太郎

(葉上 太郎)


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