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新・鉄道綜合スレ

3881チバQ:2022/05/08(日) 12:23:16
https://news.yahoo.co.jp/articles/782a9fdbe2eaa7db561ce51c1ed0c99619771907
新幹線はなぜ「梅田」に乗り入れなかった?「新大阪」に駅が新設されたワケ
5/1(日) 9:06配信

日刊ゲンダイDIGITAL
「大阪のトリセツ」(昭文社)から

 高齢世代にとっては懐かしの、若者世代にとって知られざる大阪の姿が古地図や古写真で発見できる「大阪のトリセツ」(昭文社)から、新幹線の駅が「梅田」でなく「新大阪」になった経緯について一部抜粋して紹介する。


 ◇  ◇  ◇

 1964年10月1日、東京オリンピックの開催に合わせて東京駅と新大阪駅(淀川区)を結ぶ東海道新幹線が開通した。

 新大阪駅が設けられたのは、在来線の大阪駅がある梅田ではなく、梅田から北方へ約 3.5㎞の距離にある宮原地区だった。国鉄の車両基地である宮原操車場(総合運転所)の北側に建設されたのである。

 新大阪駅が現在の場所に決定するまでには紆余曲折があった。最大の課題は、大阪は東海道新幹線の始発終着駅となるため、広大な用地が必要だったことだ。

 候補地は4カ所あった。まず、①「大阪駅に併設する案」と②「梅田貨物駅(北区)付近に新設する案」は、どちらも道路交通のさらなる混雑が懸念され、かつ繁華街の中心で空き地がないことと、阪急梅田駅や私鉄の線路があるため再開発の余地がなく不採用となった。

梅田、新大阪ともう一つの候補駅
「大阪のトリセツ」(昭文社)本体1500円+税

 また、梅田地区に新幹線を乗り入れる案は、いずれ開通する山陽新幹線にとって不都合だった。在来線(京都線、神戸線、宝塚線)のように淀川を2度渡らざるを得なくなるからだ。その場合、山陽方面への所要時間や建設費が余計にかかることもあり、却下されたのだった。

 このほかに、戦前の「弾丸列車計画」(東京〜下関間を9時間で結ぶ高速鉄道の敷設計画)で国鉄が買収した③「東淀川駅(淀川区)の北方」も有力候補に挙がっていた。

 だが、周辺に民家が密集していたため、広大な用地を確保できなかった。さらに都心部から約4.5㎞離れた場所にあることが難点となり、候補地から外されてしまう。

 最終的に採用された案が、④「宮原操車場周辺」だ。宮原地区も都心部から遠くに位置していたが、東淀川駅周辺と比べ、より多くの開発の余地があるデルタ地帯だった。決め手となったのは、操車場の一部が用地に利用できることと、山陽方面への延伸を想定した場合、淀川を2度渡らなくてもすむ場所であることだったという。

 新大阪駅は開業に伴い東海道線、地下鉄御堂筋線と連絡。前者は高架駅、後者は地上駅となった。地下鉄御堂筋線は東海道線の西側を走っており、新幹線ホームの下をくぐる形になっている。また、JR西日本の車両基地である宮原総合運転所は組織改正により、2012年に網干総合車両所宮原支所となった。


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