[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
新・鉄道綜合スレ
3865
:
チバQ
:2022/04/24(日) 09:37:20
https://news.goo.ne.jp/article/gifu/region/gifu-20220422140758.html
岐阜に「幻のモノレール構想」半世紀前に計画、なぜ実現しなかった?
2022/04/23 12:00岐阜新聞
岐阜に「幻のモノレール構想」半世紀前に計画、なぜ実現しなかった?
岐阜に「幻のモノレール構想」半世紀前に計画、なぜ実現しなかった?
(岐阜新聞)
今から半世紀前。岐阜市内にモノレールを通す構想があったのをご存じだろうか。人口が急増した1970年代、市内を走っていた名古屋鉄道(名鉄)の路面電車に代わる大量輸送網として持ち上がった。その路面電車も廃線になった今となっては夢のような話。当時は熱心に議論されたが、実現することはなかった。どんな構想で、なぜ断念したのか。岐阜市ならではの事情や、当時の時代背景を探った。
■ モノレールが一番
「モノレールが最適 岐阜市将来の交通 (昭和)49年着工へ準備」。1972(昭和47)年9月21日の岐阜日日新聞(現岐阜新聞)は、岐阜市によるモノレール整備の動きを大きな見出しでこう伝えている。計画では、79年の開通をめどとしており、73年5月12日の新聞には、懸垂式のモノレールが宙を走る完成イメージ図が掲載されている。
1973年5月12日付の岐阜日日新聞朝刊。市街地を走るモノレールの完成イメージ図が載っている
有識者などでつくる市都市交通研究会が市に出した意見書によると、市の人口が膨れ上がり、郊外の居住人口が増えるドーナツ化現象が起きると予測。ラッシュ時には市中心部で交通渋滞が起きるため、バスや路面電車では増える通勤・通学者をさばききれず、モノレールなどの新たな交通機関が必要だとしている。
実は当時、地下鉄という案もあったが、市街地は地下水の水位が高く、建設が困難とまとめている。
■ どんなルートだった?
市はどんなルートを計画していたのか。路線はいくつかの変遷をたどるが、72年時点では4ルートを計画。国鉄(現JR)岐阜駅前を起点に東部の関市方面へ延びる路線や長良川を越え、北部へ延びる2路線、羽島市の東海道新幹線岐阜羽島駅への接続を意識した南への路線の延べ30・5キロだった。
このうち、市が最初に着工を予定していたのは東部へ延びる路面電車の名鉄美濃町線とほぼ重なる岐阜駅ー芥見駅の路線。国道156号の渋滞を解消し、大規模住宅団地が造成され人口が急増していた芥見地区からの通勤・通学のため建設を急いでいた。
岐阜市内で計画していたモノレールのルート図(昭和49年度岐阜地域総合交通体系調査報告書より)
終点の芥見駅は大洞団地の入り口である国道156号の交差点に置くことが考えられていた。試算では、工費が1キロ当たり約18億円、最長の岐阜駅ー芥見駅の区間では事業費が216億円にのぼる。利用度が高いと予測される岐阜駅―北一色間は複線化も検討されていた。
■ 市長の選挙公約だった
モノレール導入の背景にあったのが、全国的な路面電車の廃線の流れだ。当時はモータリゼーションが急速に進行。交通渋滞の原因として路面電車がやり玉に挙がった。全国各地で廃止の声が高まり、代わりに新たな交通システムを導入しようとしていた。
岐阜市でも終戦時は約14万人だった人口が75年には40万人を超え、世帯数もおよそ4倍の11万5千軒に増えた。市中心部は、路面電車が道路中央を走っていたこともあり、混雑の大きな要因に。67年には市議会で「名鉄市内線全廃について」が決議される。
かつて市内を走っていた路面電車の車両。移設のためクレーンで宙に吊り上げられた
そんな折、後に岐阜県知事となる上松陽助氏が70年の市長選で公約にモノレールの整備を掲げ、初当選した。64年に国内初の本格的モノレールである東京モノレールが開通して、話題となっていたことも影響し、モノレール整備の動きは加速していく。
■国も導入を後押し
モノレール導入の動きは、国の動きに沿ったものだった。道路整備を所管する建設省(当時)は、モノレールを混雑解消の手段として活用する方針を定めた。72年には、都市モノレールの整備の促進に関する法律が公布され、建設費が補助されることとなった。
これに歩調を合わせる形で、岐阜市では71年に日本モノレール協会が美濃町線のモノレール化計画を提案。この年に岐阜市都市交通研究会が設置された。国もこうした動きを受けて、岐阜市を含む全国4カ所で整備に向けた調査費を補助した。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板