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新・鉄道綜合スレ
3683
:
チバQ
:2021/11/20(土) 09:24:43
総事業費約1000億円という予算規模
多摩地域南部に位置する町田市(画像:(C)Google)
建設予定の地下鉄について町田市は、公共交通機関がバスしかない団地同士を結ぶことを構想していたようです。大下市長に取材した『AERA』1989年3月28日号では、建設ルートをこう記しています。
「第1期工事は、JR、小田急町田駅からその団地群のそばを通って、数年後に移転する市役所まで」
予算規模は総事業費約1000億円。2021年の町田市における一般会計の当初予算額は1738億4207万円ですから、自治体の財政規模を考慮しない壮大な計画です。
これに対して大下市長は6割を国の補助金、残りを起債(国・地方公共団体・会社などが国債、地方債、社債などを発行、募集すること)でまかない、元利償還は10年後からと答えています。また「道路の渋滞で悩んでいる市民のことを思えば、これくらいの出資は当然」とも。
こうして盛り上がった町田市の地下鉄計画ですが、同じ1989年6月には早くも暗雲が立ちこめます。
1989年6月1日付『朝日新聞』朝刊では、町田市がリニアミニ地下鉄の調査研究委託料として、2000万円の補正予算を市議会に提案する記事が掲載されています。その理由は次のとおりです。
「市では当初、年内にも結論を出す予定だったが、運輸省運輸政策審議会の認可が92年まで下りそうにないことが分かり、当面、基礎資料を整えることにした」
この記事を最後に、町田市の地下鉄計画は報道からは姿を消しました――。
しかし調査は継続していたようで、1990年3月に町田市は『町田市総合交通システム調査研究報告書』を作成しています。しかしこれは地下鉄建設を推進するものではなく、当時「新交通システム」と呼ばれた神戸ポートアイランド線や東京モノレールなど、さまざまな路線のデータとメリット・デメリットをまとめただけのものでした。この後、町田市では市の作成する公共交通機関構想の資料がつくられない時期が続きます。
町田市が再び公共交通機関の拡充に言及するのは、2006年2月の『町田市交通マスタープラン』においてです。
ここでは、地下鉄の構想には触れられることはなく
・多摩都市モノレールや小田急多摩線の早期延伸
・延伸までの代替手段の確保
が触れられるにとどまっています。
いったい地下鉄構想は、どこで消滅してしまったのでしょうか。
もし計画が実現していたら……
町田市周辺の地形(画像:国土地理院)
町田市の市議会議事録をみると、1993(平成5)年12月の定例会で大下市長にかわった寺田和雄市長が「リニア地下鉄」に触れているのが、最後の記録となっています。
交通マスタープランの作成について問われた寺田市長は「かつて随分古い話でありますが、前の市長さんのとき」にあった話として「リニア地下鉄」に触れ、
「町田のようなまだまだ山間地の多いところでは、実際につくったとしても、とても採算が合わないのではないかというふうなことで、今のところ、手も足も出していないわけであります」
として、都市モノレールが有力な交通手段ではないかと応えています。
抜本的な渋滞解消策となる可能性が高いとはいえ、事業費が膨大な地下鉄計画は早い段階で放棄されてしまったようです。
もしもこの計画が実現していたら、町田市は神奈川県相模原市より先に政令指定都市になるくらい発展していたかも知れません。それほどに、地下鉄建設は壮大な夢だったのです。
弘中新一(鉄道ライター)
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