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新・鉄道綜合スレ
3682
:
チバQ
:2021/11/20(土) 09:23:52
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4eb08342114a8d72cdbbb5bc92b9dd453bbdbd8
かつて町田市に「地下鉄建設計画」があった! 平成初期の壮大な夢はなぜ破れたのか
11/20(土) 7:12配信
アーバン ライフ メトロ
大都市ではない町田市になぜ?
町田市に地下鉄を建設する――かつてそんな壮大な計画があったことを、皆さんはご存じでしょうか。
地下鉄が存在するのは巨大な都市だけで、東京以外では
・札幌市
・仙台市
・横浜市
・名古屋市
・京都市
・大阪市
・神戸市
・福岡市
といった人口100万人超えの大都市にあります(千葉県の東葉高速鉄道と北総鉄道、埼玉県の埼玉高速鉄道、広島県のアストラムラインも地下鉄に含める場合があります)。
対して町田市の人口は、2021年4月1日時点で42万9645人。そこそこの人口ですが、地下鉄のあるほかの都市に比べると、はるかに小さなボリュームです。そんな街で計画された地下鉄とは一体なんだったのでしょうか?
平成元年に走った衝撃
現在の町田市(画像:弘中新一)
町田市が地下鉄の建設を計画していることが明らかになったのは、平成が始まって間もない日のことでした。
1989(平成元)年3月14日付『朝日新聞』東京地方版には、「リニアでミニ地下鉄 渋滞解消に町田市が構想 東京」の見出しで、次のように報じられています。
「町田市は市内の交通渋滞解消のため、リニアモーターを使ったミニ地下鉄導入の検討を始めた。町田駅と木曽や山崎にある住宅団地を結ぶ1期工事を手始めに、JR横浜、小田急、京王線などの各駅と連結するビッグ・プロジェクト。1期工事は10年以内に開通させたいという。しかし、運輸省(現・国土交通省)地域交通局は「政令指定都市以外で市が地下鉄をつくるのは聞いたことがない」と戸惑った表情。1000億円以上の財源のほか、ルート決定などの問題もあり、実現までは曲折がありそうだ」
新聞各紙の報道によれば、町田市は1988(昭和63)年11月に「町田市新交通システム研究会」を設立。ここでの検討のなかで、渋滞の抜本的な対策として現在の都営大江戸線と同じ方式を使った地下鉄建設が検討されたとしています。
当時、町田駅周辺は再開発も進み、現在の中心部が完成していた時期でした。
町田市が抱えていた大きな問題
現在の町田駅周辺の地図(左)と、1967(昭和42)年に発行された地図。町田駅の位置が移動しているのがわかる(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)
JRと小田急の町田駅は現在隣接していますが、かつてJRの町田駅は現在より横浜方面にありました。駅名もJR(当時は国鉄)が原町田駅。小田急が新原町田駅でした。
そんな街の再開発に着手したのが、1970(昭和45)年に就任した大下勝正市長です。大下市政で進められた再開発では、国鉄の原町田駅が小田急側に移転し、駅名も町田駅に改称、統一されました。
しかし再開発が進んだものの、町田市には大きな問題がありました。それは交通渋滞です。
町田市では通勤・通学に両線の町田駅を利用する市民が極めて多く、ラッシュ時には駅周辺の渋滞がひどい状態でした。また駅周辺以外でも急速に都市化が進んだため、あちこちで渋滞が発生していました。
町田市の『広報まちだ』1987(昭和62)年11月21日号に掲載された市民意識調査の結果によれば、市に要望する事業のうち、交通渋滞の解消が「団地地域12地区のうち10地区で1位となっており、中でも山崎団地、藤の台団地、境川住宅、木曽・町田木曽住宅では約80%」と記されています。
これを受けて、町田市では駅に隣接する町田バスセンターを拡充。さらにバスを定時運行させるため、バス専用レーンの設置を実施しました。車線のひとつを9時から23時まで専用レーンとする、全国でも初の試みでした。
「昭和63年7月1日午前9時、お中元商戦まっただ中、市民待望の「バス専用レーン」が警視庁白バイの先導で開通した。また、沿道には所轄警察官による指導体制のもと大きな混乱もなく第1日目をスタートした。(中略)その後も通行区分の徹底を指導するために一週間にわたり交通警察官が配置され、路上駐車の指導取り締まりが行われ、順調なすべりだしとなった」(『交通渋滞解消へ“町田の試み”』町田市都市計画課 1989年9月)
残念ながら、バス定時運行のための施策は一定の成果をみたものの、完全に渋滞を解消することはできませんでした。理由は、依然として自家用車を利用する市民が多かったためです。そこでさらなる抜本的な渋滞解消策として浮上したのが、地下鉄建設計画だったというわけです。
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