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新・鉄道綜合スレ

3595チバQ:2021/08/10(火) 12:22:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c7a9f57bda2dda550c2874b64b7e7b6b4c54c59
時刻表は読み物です 愛称と寝台車つき普通「はやたま」の思い出
8/9(月) 11:00配信

産経新聞
旧型客車の三段式寝台。ベッドに入れば、身動きすることは難しかった=群馬県安中市松井田町の碓氷峠鉄道文化むら

JR西日本の長距離観光列車「ウエストエクスプレス銀河」が、京都と和歌山県南部の新宮を結ぶコースを12月22日まで運行している。週2往復程度で、下りは京都を21時15分に出発し、新大阪、天王寺、和歌山などを経て翌朝の9時37分に新宮に到着する。阪和線、紀勢線を通って新宮方面に向かう夜行列車と聞いて思い出すのが、普通列車ながら愛称を持ち、寝台車を連結していた「はやたま」だ。

はやたまには一度だけ乗車したことがある。高校を卒業する昭和57年春、同じ鉄道研究部の同級生と寝台車に乗った。機関車に押された客車が天王寺駅の阪和線ホームに入線する姿にわくわくした覚えがある。

「国鉄監修 交通公社の時刻表1982年3月号」(日本交通公社=現JTBパブリッシング)を開いてみよう。23時に天王寺を出発。客車三段式のB寝台を示す星1つのベッドマークが確認できる。新宮にある「熊野速玉大社」にちなんだ愛称がついているのは、寝台指定券のコンピューター発券に対応するため。列車は名古屋行きだが、寝台車は翌朝の5時7分に着く新宮までの連結。よって新宮と12時57分に着く終点の名古屋間では、愛称なしの普通列車扱いだ。

寝台車はもちろん、特急に使うブルートレインなどではなく、昭和30年代に製造された旧型の10系。高校生にとっては大金の4千円という寝台料金を奮発したものの、寝台の幅52センチ、長さ190センチは我慢できたが、寝台に入ってしまえば体が起こせない、おそらく70センチほどしかない高さに閉口した。普通列車のため、こまめに駅に停車する際の衝撃もあり、ほとんど眠れなかった。

ただ、電車が行き交う阪和線を走る客車列車ならではの車内放送などが印象的だった。天王寺駅に入線する際に「しっかりと列車が止まってからご乗車ください」とアナウンス。旧型客車のドアは手動で、少々動いていてもドアを開けて乗り込み、席を確保することができたため、注意を呼び掛けていたのだ。また、天王寺を発車した際は「市街地を走行中、駅に停車中はお手洗いの使用をご遠慮ください」。旧型客車のトイレは、上からのぞくと線路が見える開放式。「黄害」を防ぐためだった。

はやたまの寝台は59年2月に廃止され、運転区間は天王寺-新宮間に短縮。愛称はなくなり、その後は電車に置き換わったほか、さらに運転区間は短くなり、現在は完全に姿を消した。

「国鉄監修 交通公社の時刻表1976年7月号」(同)を開くと、はやたまの前身である「南紀」のほか、3本の寝台車付き普通列車が確認できる。小樽-釧路間の「からまつ」、京都-出雲市間の「山陰」、門司港-長崎・佐世保間(大村線経由)の「ながさき」だ。しかし、すべて60年までに廃止された。

時代の移り変わりで減少の一途をたどってきた夜行列車。新宮行きの「ウエストエクスプレス銀河」は、当時の旅を思い起こさせてくれる。(鮫島敬三)


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