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新・鉄道綜合スレ

3372チバQ:2021/01/11(月) 11:07:30
横浜臨港線・山下臨港線(@神奈川県)
 JR根岸線の桜木町駅で電車を降り、ロータリーを越えて東方向に歩き出すと、5分もしないうちに海が見えてきた。ランドマークタワーや、ヨットの帆のかたちをした高層ホテル、大観覧車など、いかにも横浜らしい港の景色が次々と現れる。観光やショッピングを楽しむ人たちで賑わう、みなとみらい地区だ。

 ここから山下公園の手前まで廃線跡が残っていることを知ったのは最近のことだ。こんな都会の真ん中で廃線歩きができるとは、神奈川県在住のテツ友に教えられるまで知らなかった。しかも、海風に吹かれながら、明治〜大正期に造られた美しいトラス橋を4つも渡ることのできる黄金ルートである。

かつてあった「東横浜駅」
 桜木町駅のすぐ東側、いまはロータリーになっているあたりに、かつて東横浜という駅があった。東海道本線の貨物支線の一部で、横浜臨港線とよばれた路線の駅である。

 横浜臨港線は大正9年(1920年)までに全線が開通、高島駅―東横浜駅―横浜港駅の4・3キロを走っていた。昭和40年(1965年)にはさらに横浜港駅―山下埠頭駅の2・0キロが開通、こちらは山下臨港線とよばれたが、扱い貨物の減少により両線とも昭和61年に貨物営業を終了している。

 横浜臨港線の廃線跡は「汽車道」として整備されていた。ありがたいことにレールは残してある。

 ふだんの廃線歩きで出会う人といえば、農作業をしている人や、自転車通学の中高生くらいだが、さすがは横浜、犬を連れて散歩するお洒落な女性や、若いカップル、スーツ姿のビジネスマンまで、多くの人が行き交っている。

 このルートには、「港一〜三号橋梁」とよばれる3つの鉄道橋が残っていて、それぞれ横浜市認定歴史的建造物となっている。一号、二号橋梁は明治40年代に架設されたアメリカ製の複線トラス橋で、白く塗られた優美な姿をしている。三号橋梁は北海道の夕張川橋梁を転用したもので、こちらはイギリス製である。

 3つの橋を渡り終えると、新港地区とよばれるエリアに入る。赤レンガ倉庫の間に引込線が残っており、横浜港駅のホームが復元されている。ここからは山下臨港線の廃線跡になる。

「鉄道橋ってこんなにきれいなんですね」
 歩き出してまもなく、4つ目のトラス橋があった。大正元年(1912年)製造の「新港橋梁」だ。橋の全景を撮ろうと土手に回ると、カメラを手にした先客がいた。港一号、二号橋梁のところでも見かけた青年だ。

 同好の士に違いないと思って声をかけたが、鉄道ファンというわけではなく、この橋がもともと鉄道橋だったことも知らなかったという。お節介とは思いつつ、かつてここを列車が走っていたことを説明した。「鉄道橋ってこんなにきれいなんですね」と言われ、自分がほめられたような気分になった。

 橋を渡った先から山下埠頭駅まで、現役時代の線路は高架上を走っていた。現在は「山下臨港線プロムナード」となり、山下公園の入り口まで、港を見下ろしながら線路跡を歩くことができる。汽笛が聞こえ、船の出入りが見える、最高の散歩道だ。

 レールは残っていないので、歩いている人のほとんどは、ここが線路だったとは気づいていない。手すりにもたれて港を眺めるカップルに教えてやりたい衝動にかられたが、ぐっと抑えて思いとどまった。(2012年9月取材)

 @神奈川県
 [廃止区間]
 a:高島駅―横浜港駅
 b:横浜港駅―山下埠頭駅
 [廃止時期]
 a;昭和62年(1987年)3月31日
 b:昭和61年(1986年)11月1日
 [路線距離]
 a:4.3km
 b:2.0km

地図作成=読売新聞社

梯 久美子


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