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新・鉄道綜合スレ
3371
:
チバQ
:2021/01/11(月) 11:07:12
東京都港湾局専用線晴海線(@東京都)
これまで全国各地の廃線跡をめぐってきたが、今回は、私が暮らす東京の廃線跡を訪ねることにした。東京都港湾局専用線の晴海線である。秋の連休の最初の日で、天気は最高。ちょっとしたレジャー気分で近場に出かけ、海風に吹かれて歩くのも悪くないと思ったのだ。
「晴海線」とは
晴海線は、東京都港湾局が敷設した臨港鉄道のひとつで、国鉄越中島駅(現在のJR越中島貨物駅)から伸びる深川線より分岐し、晴海埠頭まで達していた。開通したのは昭和32年(1957年)、日本が高度成長期を迎え、東京の臨海工業地帯への貨物輸送が大幅に増えた頃である。
東京都港湾局専用線には、ほかに豊洲方面に向かう豊洲物揚場線と豊洲石炭埠頭線があったが、トラックの利用が増えたことや工場の移転などによって貨物量が減り、それぞれ昭和60年(1985年)、61年(1986年)に廃止となっている。最後に残った晴海線が廃止されたのは、平成元年(1989年)のことだった。
目指すは“奇跡の橋”
JR京葉線の潮見駅で降り、晴海埠頭を目指して歩く。再開発が進み、線路の跡はほとんどわからなくなっているが、この先には、鉄道ファンにはよく知られた“奇跡の橋”が残っているのだ。
資料で何度も目にしたことのあるこの橋との出会いを楽しみにしつつ、まずは豊洲運河を渡る。ここには現在架かっている朝凪橋と並行して、かつて晴海線の鉄道橋が架かっていた。いまはコンクリートの橋台だけが残っている。
朝凪橋を渡って豊洲地区に入ると、それまでの下町らしい風景が一変して、高層ビルやマンション、巨大なショッピングセンターが建ち並ぶ、超近代的な人工都市空間となる。洒落たカフェやレストランもあり、犬を連れて散歩する人の姿も多い。
豊洲運河沿いは遊歩道になっていて、イーゼルを立てて絵を描いている人が何人もいた。みな運河の上流、隅田川の方を向いている。広々とした運河の先に、隅田川の川岸に立つ高層マンション群を望むここからの景色は、なるほど絵になる。東京を代表する新しい景観といえるかもしれない。
運河の水面から顔を出した橋台にカメラを向けていると、絵を描いていた銀髪の婦人に「何を撮っているんですか」と声をかけられた。昔ここを鉄道が通っていた話をすると、まったく知らなかったとのこと。3年前、新宿区にあった自宅を売って、豊洲に移り住んできたそうだ。
一角に残るレールの跡
ビルの谷間を抜けてさらに進む。昔、晴海線が横切っていた敷地には、いま巨大なビルが建っている。ここで働いている人たちも、自分たちのオフィスがかつての線路の上にあるとは思いもしないだろう。
交差点を渡ると、いよいよ晴海線最大の遺構との対面である。潮風に赤く錆びた鉄骨が、力強くも優雅な曲線を描く鉄道橋、晴海橋梁。真新しいビル群に囲まれて、往時の姿のまま残っている。レールも枕木もそのままだ。
渡ることはできないが、すぐ横にかかる春海橋(こちらは「春」の字を使っている)から間近に眺めることができる。東京湾岸の環境が激変する中、変わらない姿をとどめているのはまさに奇跡的。周囲の景色とのミスマッチがまたいい。
春海橋を渡った先が晴海埠頭だ。アスファルト舗装された倉庫街の一角に、撤去されたレールの跡がかすかに残っていた。(2011年9月取材)
@東京都
[廃止区間]
深川線分岐―晴海埠頭
[廃止時期]
平成元年(1989年)2月9日
[路線距離]
―
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