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新・鉄道綜合スレ
3267
:
チバQ
:2020/10/07(水) 11:15:42
■地方の私鉄路線
京福電鉄永平寺線
地方の中小私鉄路線は経営が厳しいものが多く、戦後75年の間に相次いで廃止された。いわゆる「葬式鉄」的な行動をとらなくても、気が付いたら廃止になっていた思い出の路線は数多い。
金津―東古市間は1969年の廃止で、乗車した1980年頃は、東古市―永平寺間の盲腸線。福井駅から永平寺に参拝するため、京福電鉄で永平寺に向かった。福井から勝山へ向かう路線の、ほぼ中ほどにある東古市駅(現・えちぜん鉄道永平寺口駅)から永平寺へ向かう電車に乗り換えた。職場の同僚数人との慰安旅行だったので、車両や車窓に関して鮮明な記憶はないけれど、同僚の一人が「京王線みたいだ」と言ったように、白地にえんじ色の帯を巻いた車体だったことは覚えている。終点からは徒歩で永平寺へ。バスに乗り換えないで参拝できたとは夢のような話だった。東古市―永平寺間も2002年廃止。
長野電鉄屋代線
由緒ある路線で、1982年までは上野発の169系急行電車が屋代線経由で湯田中まで直通していた。しかし、県都長野を通らないので利用者の増加は見込めず、昼間の列車本数は電化区間とは思えない少なさ。2004年の夏に乗車したとき、昼間は2時間ほど間隔があく有様だった。
どんな過疎地かと思って乗車したのだが、無人の荒野が延々と続くわけでもなく、そこそこ集落もある田園風景が展開していた。もっとも、線路に並走する道路はクルマも頻繁に走り、沿線には郊外型大型店舗も散見された。その敷地の裏手にあるゴミ捨て場を見ながら電車は駆け抜け、何だかうらぶれた気分になってしまった。乗った車両には数人の利用者がいたけれど、女子高生からおばあさんに至るまですべて女性。思わず「女性専用車」かと慌てたほどである。
屋代線の利用者は、その後も減少の一途をたどり、いつしか廃止に追い込まれた。長閑(のどか)な雰囲気や木造駅舎のある鉄道情景と都会的な元地下鉄日比谷線のステンレス車両とのアンバランスも面白いものがあった。2012年4月1日に廃止となった。
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