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新・鉄道綜合スレ

3266チバQ:2020/10/07(水) 11:15:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/10fb0f58e1e6f9f9e8da36fca6b0ac9bcb8aaa0d
また乗りたかった…30年間で廃止になった路線
10/7(水) 5:31配信
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JR札沼線の晩生内駅付近を走るディーゼルカー=2011年8月(筆者撮影)
 戦後75年の現在、高度成長期の昭和、それに続く平成を懐かしむ人は少なくない。その間に鉄道は国鉄からJRへと大きく変わり、動力近代化が進んだ。一方で、輸送の主役はクルマへと移り、高速道路網の充実や大都市への人口集中に伴い地方の過疎化が顕著になり、ローカル線の廃止が増えた時期でもある。この75年の間におよそ400もの路線が消え、総延長は7000kmにもなるという。

【写真で見る】思い出深い廃線の駅や車両

 便利になった一方で、もう乗れなくなった路線やなじみの車両が消えていく現実を、自らの人生とダブらせて回顧する人が多いのかもしれない。そのせいか、廃線跡を訪ねたり、懐かしい過去の写真やアーカイブス映像をテレビやネットで熱心に見入る人が増えている。そこで、廃線が話題となっている今、筆者が乗ったことのある思い出深い路線をピックアップして紹介したい。
■懐かしい旧国鉄時代

JR信越本線の横川―軽井沢間
 軽井沢近くの信濃追分に大学のセミナーハウスがあったので、学生時代はゼミやサークルの合宿などで何回となく乗車した区間であり、まさか廃止になるとは夢にも思わなかった。しかし、北陸新幹線(開業当時は「長野行き新幹線」)の開通により並行在来線としてJRの手を離れることになり、横川―軽井沢間のいわゆる碓氷峠越えの区間は、1997年9月30日をもって廃止されてしまった。
 復活の可能性を模索して、線路はかなりの部分残されているし、遊具施設のようなトロッコ列車「シェルパくん」が横川駅付近では廃線跡を利用して走っている。

 学生時代、特急は「特別な」急行列車であり、現在とは違って「贅沢な乗り物」と思われていたので、もっぱら169系の急行列車に乗っていた。夏に乗ると、開いた窓から入ってくる風は熱気を帯びていたのだが、いくつものトンネルを潜り抜け、軽井沢駅に近づくと高原の爽やかな風が下界とは別物のようなものに感じられたことは今もって忘れられない。

 旧国鉄の路線は、民営化にあたり、数多くの赤字ローカル線が、1980年代に消えていった。もっとも、私にとっては、人生で多忙であった時期にあたったので、この時期に廃止となった数ある旧国鉄のローカル線のうち、乗ることができたのは、次に述べる大社線だけだった。

JR大社線
 1979年に「SLやまぐち号」が走り始めてすぐに山口線を訪れた。その帰路、山陰をまわることにしたのだが、出雲市駅で途中下車して、出雲大社に参拝するために乗ったのが大社線だった。
 7.5kmの短い路線とはいえ、大阪駅から20系寝台客車で編成された直通の夜行急行列車「だいせん」や名古屋駅から小浜線・宮津線・山陰本線経由という風変わりな長距離急行列車「大社」が運転されている華やかな路線だった。大社線内は急行から普通列車に格下げされての運転だったものの、長大編成の優等列車が行き交う路線は幹線に準ずる風格があった。

 平野の中にぽつんとホームのある荒茅駅の次が終点大社。今も駅舎が保存されている堂々たる終着駅だった。1990年、JRになって3年後に廃止された。


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