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新・鉄道綜合スレ
3248
:
チバQ
:2020/09/16(水) 15:50:15
■房総各線の電化を期に衰退が進む……
両国駅にとって大きな転機となったのは総武本線・千葉〜錦糸町間の複々線化および房総各線の電化であった。新設された快速線は両国駅の錦糸町側で地下に入るが、その工事のため貨物用地が撤去されることとなり、1970(昭和45)年に貨物の取扱いが廃止されている。
複々線化は1972(昭和47)年7月に完成。同年の外房線につづき74年に総武本線の佐倉〜銚子間と成田線の成田〜松岸間が電化したことによって房総主要4線の電化が達成された。しかし、総武本線のターミナルは東京駅の地下ホームとなり、電化後の各線には特急が新設されたものの、両国発着特急は設定されなかったのである。76年7月ダイヤでは急行のみが10本という状態で、優等列車の本数は65年4月と変わっていないように見えるが、これは当時の急行用車両(165系・163系)がATC(保安システム)の関係で東京地下駅に乗り入れられなかったため両国発着となったと考えられる。輸送の主力が特急に移ったあとの両国の実態であった。
1982(昭和57)年11月に房総各線の急行が廃止されたものの、両国発着列車の全廃は逃れ、特急の3往復が両国発着となった。しかし88(昭和63)年にうち2往復が撤退、残るは「あやめ9・8号」1往復のみとなってしまった。「あやめ8号」が17時18分に両国に到着、「あやめ9号」が鹿島神宮に向け19時18分に発車するというダイヤだった。しかし両国からの乗客は数えるほどで、「成田エクスプレス」がデビューした91年3月、この最後の定期特急も東京発着に改められて両国から姿を消したのである。
■旧設備の活用などによって駅の魅力を発信
3番線ホームは両国駅3番線ホームはその後も用いられてきた。房総方面に残されていた新聞輸送列車が両国を基地としていたためである。しかし、その最後の定期列車も、館山自動車道の開通など房総の道路事情が改善したのを受けて2010(平成22)年に任務を終了。ついに3番線の灯が消えることとなった。
その後の3番線は団体列車や臨時列車に用いられ、2018(平成30)1月にはサイクルトレイン「BOSO BICYCLE BASE」のターミナルとして活用されることとなった。改札を通らずに道路と3番線とをつなぐ専用通路を設けるなど、新たな試みを取り入れてのデビューである。
また、旧駅舎の積極的な活用も進み、1996(平成8)年に「ビアステーション両国」が開業。2016(平成28)年には複合飲食施設「-両国-江戸NOREN」として発展を見せた。3番線ホームはイベントで貸し出されるケースもあり、第一線を退いたもののまだまだ活躍し続けている。(文・植村 誠)
植村 誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。
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