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新・鉄道綜合スレ

3175チバQ:2020/07/17(金) 19:58:07
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イマドキありえないノロさ? 日本各地にはこんなに「夜行鈍行列車」があった
植村誠2020.7.4 16:00dot.#鉄道
 夜行列車といえば、まず最初に思い浮かぶのが「ブルートレイン」かもしれない。かつては寝台車や食堂車を連ねた列車が各地を駆け巡り、新幹線時代になっても広く親しまれてきた。一方、「ブルートレイン」の華やかさとは無縁に、夜の鉄路を仕事場とした普通列車の夜行も少なからず走っていた。それはどんな列車だったのだろうか……?

*  *  *
■JR発足後にブームを迎えた夜行列車

 古い「時刻表」や鉄道雑誌などを開くと、全国津々浦々といっていいほどに夜行列車が活躍していたことがわかる。かつては、上野駅の通称「地平ホーム」には夕方から深夜にかけて続々と夜行列車が旅立っていったほか、東京駅も九州や関西方面などに向かう夜行列車が華やいでいたものだ。

 やがて新幹線網の拡大と引き換えるように縮小していったが、国鉄分割民営化後に個室寝台などを中心とする豪華寝台列車が人気を集めることとなった。JR発足後の1990年3月ダイヤを見ると、愛称数で特急20、急行15、普通5(快速および愛称なし列車を含む)、運転本数で特急26往復、急行15往復、普通3往復+片道2本もの夜行列車が各地を駆けていたのである(臨時特急「トワイライトエクスプレス」を含む)。

 その後の推移については割愛するが、普通列車が複数設定されていた点に注目してみたい(※表1参照)。

 残念ながらいずれの列車もすでに姿を消してしまったが、「青春18きっぷ」の定番列車でもあり、シーズンには多くの旅行者で賑わっていた。現在でも「18きっぷ」シーズンと合わせて東京〜大垣間に臨時快速「ムーンライトながら」が運行されることがあるのはそのためだ。

 私自身は学生時代に中央線沿線で暮らしていたこともあって、上諏訪行き421Mによくお世話になった。大月と甲府で長時間停車があり、大月では改札を抜け、コンビニエンスストアで食料や飲み物の買い出しをするのがお約束だった。「18きっぷ」ユーザー以外では登山客御用達列車でもあり、シーズンには新宿駅地下通路に集合し、駅員の誘導でホームに登っていったのもいい思い出である。

■寝台車つき普通列車が走っていた!?

 国鉄時代に遡ると、夜行普通列車はまさにありきたりの列車と化す。

 1965年4月ダイヤを開くと、東京〜姫路、京都〜鳥栖、門司港(鹿児島本線・肥薩線経由)都城、上野〜青森、函館〜釧路など、いまでは考えられない長距離の夜行普通列車がそこここに見られる。東京〜大阪や大阪〜門司、大阪〜新潟などはダブルトラックどころか都合3往復が設定されているケースがあるほか、上野〜青森は東北本線と常磐線、奥羽本線と3つの経路にそれぞれ夜行普通列車が往復していた。ダイヤ例を挙げると、青森発(奥羽本線経由)上野ゆきは青森発7時00分、上野着が翌朝5時06分で、所要時間は22時間6分にも及ぶが、当時はこのようにスケールの大きな普通列車が決して例外的存在ではなかったのである。

 いまひとつの注目点が、寝台車を連結する普通列車だ。同ダイヤでは、京都発門司行き(山陰本線経由811列車)の米子〜門司と、門司港〜長崎(411/412列車)、門司港〜西鹿児島(現・鹿児島中央。511/512列車)、小樽〜釧路(421/422列車)に2等寝台車が連結されていた。2等寝台はのちのB寝台で、寝台料金は下段が800円、中段700円、上段が600円。ちなみに初乗り運賃(3キロメートルまで2等)は10円、駅弁が100円程度という時代である。


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