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新・鉄道綜合スレ

3093チバQ:2020/05/14(木) 13:26:41
https://toyokeizai.net/articles/-/343675

かつての鉄道「不要不急線」、戦後たどった運命

「コロナ禍」の75年ほど前にあった鉄道の休止

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草町 義和 : 鉄道ライター
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2020/04/21 5:10

このところ「不要不急」という言葉を聞く機会が増えた。理由は言わずと知れた新型コロナウイルス。国や各地の自治体が感染の拡大を抑えるため、不要不急の外出を自粛するよう呼びかけている。4月8日には緊急事態宣言が発令され、対象地域に指定された7都府県の知事は住民に対し、外出の自粛を要請できるようになった。

日本経済新聞を除く全国4紙で「不要不急」の言葉を使っている記事の数を調べてみたところ、2019年12月は約10本だったのに対し、2020年1月は約60本、2月は約250本と急速に増加。3月は約600本に膨れあがっている。

使われる機会の少ない言葉だが、鉄道の歴史を少しでもかじっている人なら「不要不急線」を連想するのではないだろうか。戦時中の1940年代前半、政府の命令によって休止、もしくは廃止された鉄道路線のことだ。

戦時中に約300kmの国鉄線が休止

国鉄線の場合、計約300kmに及ぶ約21線区が不要不急線とされ、1943年から1944年にかけて休止となった。戦時体制への突入で物資が不足するようになったことから、軍事上の重要度が低い路線を休止し、レールなどの金属を軍事上重要な路線に転用したり、あるいは武器の生産に使ったりした。

このほか、当時複線だった御殿場線(神奈川県・静岡県)や参宮線(三重県)、関西本線の一部(奈良県)は単線化してレールを供出している。津軽線の青森―蟹田間など当時未開業だった路線も一部は工事が凍結され、せっかく敷設したレールを撤去したというケースもあった。

不要不急線とされた国鉄線(複線路線の単線化を除く)は次の通りだ。いずれも1943年から1944年にかけて休止している。

ローカル線ではない路線も休止

その多くは、自動車交通が発達していなかった当時でも輸送量が少なかったローカル線だ。しかし、東京都内を走っていた五日市線・立川―拝島間のように、当時は沿線が発展していなかったとはいえ、ローカル線とは言い難い路線も含まれている。

1930年代の立川―拝島間は、青梅電気鉄道(現在の青梅線)と五日市鉄道(現在の五日市線)が並行していたが、1944年4月に両線とも国有化。一つの事業者が二つの並行路線を運営するのは非効率的という判断があり、迂回(うかい)ルートで距離の長い五日市線を不要不急線として休止、運用の効率化を図ったのだろう。


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