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新・鉄道綜合スレ

3080とはずがたり:2020/05/05(火) 23:02:15
阪急と山陽の相互乗り入れの廃止の原因は6連と8連の差って聞いてたけど,こんな事故もあったのか〜。
ただ1984年の事故で乗り入れ廃止は1998年だとするとあんま関係ないとも云えるのでは?これ以降露骨になんか縮小されたかな??
→調べたら悪影響あったみたいだ。残念だなあ。。

あの事故
(阪急六甲駅の事故特集)
http://www.rokko1go.jpn.org/main/photo/page/pp055_hkjiko1.htm

1984年に阪急神戸線六甲駅で起きた列車衝突事故で、 阪急と山陽の列車が衝突した...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317760973
楽&天&龍(j_slow)さん 2008/7/1418:05:23
当時は山陽電車は阪神大石と阪急六甲まで乗り入れしていました。阪急の方は折り返し運用のために一旦御影手前の引き上げ線に引き上げて下り方へ転線していました。六甲に終着した電車は平日はそのまますぐ発車するのですが、休日ダイヤでは一旦待機して特急をやりすごし、その後引き上げ線に入るようになっていたのを山陽の運転士が平日ダイヤと勘違いした上にATSのスイッチを切ってさらに赤信号を無視して発車させてしまいました。そこを通過線を高速で通過しようとした特急と接触しました。

この当時は運転士は阪急と交代せずに山陽の運転士がそのまま阪急に入っていました。阪急としてはありえない事故だったのです。これ以降山陽と阪急との関係は急速に悪くなり、阪急は須磨浦公園乗り入れをやめてしまいました。さらに特急オール8連化と休日も日中時オール10分間隔化に伴い山陽の三宮〜六甲間は取りやめになりました。

元々は阪急が山陽姫路と相互乗り入れする計画があり、当時新製された5100系や6000系は6連基準、山陽のATSも標準装備して姫路乗り入れに対応していました。ただ当時は山陽が4両、阪急は6〜8両、運転間隔も山陽は20分、阪急は平日10分、休日12分間隔で折り合いがつかず実現しませんでした。もしこの事故がなければ梅田に乗り入れしていたのは阪急かも知れなかった・・・ということです。


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