したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

新・鉄道綜合スレ

3061チバQ:2020/03/29(日) 22:44:57
https://toyokeizai.net/articles/-/338997
住民の帰還進まぬ「常磐線」利用するのは誰か
全線運転再開後の「未来」はどこにあるのか
次ページ »
土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト
著者フォロー
2020/03/26 5:05
シェア286
一覧
メールでシェア
印刷
AA

JR常磐線が全線運行再開し、不通区間にあった夜ノ森駅に到着した列車=3月14日(写真:共同通信)
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故により不通が続いていたJR常磐線の富岡―浪江間が3月14日、震災から約9年の歳月を経てようやく運転を再開した。途中の夜ノ森、大野、双葉の3駅も営業を再開。これで常磐線は全線が「復旧」した。

しかし、原発事故による避難指示はすべて解除されたわけではない。むしろ、まず鉄道という動脈を通しておいてから、沿線の復旧、復興を進めようとする意図が明確でもある。いったん無人となり、約9年間、荒れるがままに放置されてきた地域の復興は容易ではない。むしろ常磐線は、地域の生活を取り戻すための第一歩として、運転を再開したと言えよう。

にぎわった運転再開初日だが…
3月14日は、まず下りの運転再開一番列車である、いわき発5時23分の原ノ町行きに乗車してみた。早朝ゆえ、それほどの混雑ではなかったものの、多くの利用客があった。

原発事故が発生した2011年の末の不通区間は広野―原ノ町間に及んでいた。その後、2014年6月1日に広野―竜田間、2016年7月12日に小高―原ノ町間、2017年4月1日に浪江―小高間、同年10月21日には竜田―富岡間と順次、復旧区間は延び、部分的ではあるが運転が再開されていった。筆者はそのたびに取材に訪れているが、さすがに今回の「全線復旧」が、各列車とも、いちばんにぎわっていたように思う。

ただ、少し様相が違うように思えたのが、一番列車の利用客の大半が、9年ぶりに列車が運転された区間を「試し乗り」する向きであったこと。写真を盛んに撮るなどの行動を見ていれば、それとなく客層がわかる。もちろん、これまでの部分再開の時にも多かった層ではある。

だが一方で、部分再開の際にはそれなりの数、見受けられた「帰宅目的」の地域住民が目立たなかった点が、今回の全線運転再開の特徴であるようにも思えた。これまで、列車の運転再開は避難指示の解除に伴って行われてきた。それゆえ、たとえ宿泊できなくても、避難先から自宅に

一般的に地域の中心都市(この場合はいわき市と、原ノ町駅がある南相馬市)へ朝、各駅から向かい、夕方には反対方向へ帰る、通勤・通学客の流れが鉄道にはある。これは全国どこであっても変わらない。しかし、原発事故の被災地域では、逆に朝、中心都市から向かい、夕方には戻る旅客流動が存在していた。避難指示の全面解除までの期間だけではあるが、「自宅へ通う」あるいは被災地域にある「勤務先へ通う」人々がいたのだ。


双葉駅は駅周辺が特定復興再生拠点区域(復興拠点)に指定され、避難指示が先行して解除された(筆者撮影)
今回の場合、営業を再開した3駅は、いずれも「帰還困難区域」内にあるか、同区域と隣り合っている。福島第一原子力発電所は、大熊町内の北端、双葉町にすぐ接する位置だ。放射能の影響をいちばん受けた地域である大熊、双葉の両町内に3駅は所在する。つまり、一部(夜ノ森駅の西側)を除いて駅周辺には、現時点では住民はいない。

復興に向けて、政府は帰還困難区域の一部を「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」に指定し、避難指示の一部を3月4日に先行解除。今後、再び人が住めるように整備する。つまりは、すべてがこれからで、まだ住民が自由に帰ることができる段階には至っていない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板