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新・鉄道綜合スレ

2917チバQ:2019/12/20(金) 09:49:17
千代田線でもあり常磐線でもある区間
 千代田線と常磐線の接続駅は、路線が分岐する北千住駅にするのが自然な考え方ですが、千代田線の車両基地が綾瀬に置かれることから、両路線の接続点は北千住のひとつ隣の綾瀬駅に決定します。車庫との接続駅は、運行状況に応じて臨機応変に車両の入出庫をする必要があるため、営団地下鉄としても、接続駅をずらしてまで自社で管理したかったのでしょう。

 とはいえ、元々常磐線だった北千住〜綾瀬間を千代田線に変えるわけにはいきません。そこで同区間は、千代田線であり常磐線でもあるという扱いにして、この区間を通過する利用者が余計な運賃を払わなくてもよい特例を定めました。

 こうして1971(昭和46)年、いよいよ千代田線と常磐線の相互直通運転が始まります。しかし、利用者の行動パターンはすぐには変わりません。これまで日暮里・上野方面に一本で行くことができた綾瀬、亀有、金町の各駅は、千代田線に直通する各駅停車のみが停車。上野方面に行く場合は、北千住で乗り換えるか、千代田線の運賃を払って西日暮里で乗り換えなくてはならなくなったため、一部の利用者のあいだには反発もあったそうです。また、法律でストライキが制限されていた国鉄に対し、営団地下鉄は頻繁にストを行っていました。ストによる運休時、綾瀬〜金町間の利用者は松戸まで戻って日暮里・上野方面に向かわなければならないといったこともあり、「迷惑乗り入れ」とまで言われたこともあったそうです。

 2015年の「上野東京ライン」開通により、常磐線快速列車の東京・品川方面への直通運転が始まり、いまや快速列車と各駅停車は都心直通のライバル的な関係になりました。もしも当時から、このような直通運転が行われていれば、千代田線と常磐線の直通運転は違った形になっていたか、あるいはそもそも実現しなかったかもしれません。

枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)


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