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新・鉄道綜合スレ

2893チバQ:2019/11/28(木) 13:09:51
https://toyokeizai.net/articles/-/311444
密着ルポ、物流を支える「貨物列車」の舞台裏
鹿島臨海鉄道、ディーゼル機関車にも同乗
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久野 知美 : 女子鉄アナウンサー
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2019/11/09 5:00

2018年、西日本豪雨などの影響で山陽本線の一部区間が不通となりました。その際、関西エリアと九州エリアとをつなぐ鉄道による物流を確保することが困難に。改めて、大量輸送を可能とする貨物列車によって、いかに私たちの生活が支えられているかを思い知らされることになりました。
かねて、鉄道貨物協会の個人会員であり、貨物ファンだった私。MCを務めるラジオの番組でも山陰本線の迂回輸送についてのニュースを取り上げていただき、改めて学びを深めることになりました。そして、時を経た今年5月。所属する水戸支部より、正式に鉄道貨物輸送大使として任命を受けることに……!
まだまだ、一般の方には深く知られていない鉄道貨物輸送の世界。今回は、多大なるバックアップを受け久しぶりに現地リポートを敢行! 鹿島臨海鉄道の貨物列車運行に密着し、その舞台裏について詳しく伺いました。
今年で設立50周年
――鹿島臨海鉄道といえば旅客列車が走る大洗鹿島線が有名ですが、貨物輸送も盛んに行われていますね。

鹿島臨海鉄道・渡辺克凡代表取締役専務(以下敬称略):大きく旅客営業の線区と貨物営業の線区の2つに分かれています。旅客営業を行っているのは水戸駅を起点に鹿島神宮駅までの50数kmです。大洗鹿島線は水戸駅から鹿島サッカースタジアム駅までの間で、同駅と鹿島神宮駅の1駅間はJR東日本の営業線区で、弊社が乗り入れている形になります。

貨物営業は、鹿島サッカースタジアム駅を起点に神栖駅を経て鹿島臨海工業地帯の奥野谷浜までの鹿島臨港線で行っています。会社の設立は1969(昭和44)年の4月で、今年で50年になります。

――今年がちょうど50周年だったのですね!


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渡辺:ただ、設立後に営業開始の手続きなどがありまして、実際に鉄道の営業を開始したのは翌1970年の11月です。貨物営業から始まりました。

旅客営業は1978年から1983年までの間、鹿島臨港線の北鹿島から鹿島港南までの間で行っていたことがありますが、現在の旅客線区である大洗鹿島線は1985年3月の国鉄ダイヤ改正に合わせて営業を開始しました。当初は国鉄の路線として建設されていましたが、国鉄から切り離されることになり、第3セクターの当社が営業することになりました。ですから、旅客営業開始からは34年ですね。

取材は貨物輸送の一大拠点である神栖駅からスタート。まず路線の特徴などを伺いました。
――今回取材させていただく貨物の臨港線は、どんな特徴のある路線なのでしょうか。

渡辺:臨港線は総延長21kmです。鹿島サッカースタジアムと神栖の間は1日に貨物列車が3往復運行しています。神栖と奥野谷浜の間は1往復です。貨物用の機関車は「KRD形」1両と新しい「KRD64形」2両があり、この3両で貨物列車の運行を行っています。


KRD64形ディーゼル機関車(左)と大洗鹿島線の6000系ディーゼルカー(撮影:尾形文繁)
鹿島サッカースタジアムと神栖の間は保安装置が特殊でして、我々は「ズバコン」と呼んでいますが、出発信号機のところに受信機があって、運転士がテレビのリモコンのような発信器を使って自ら進路構成を要求するという仕組みです。

神栖を起点に奥野谷浜までの運行は「スタフ閉塞」です。駅の前にスタフの収納機がありまして、そこで駅長から運転士が受領して、スタフを携帯して運行するという、全国にも数少なく残っているうちの1つかと思います。


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